近代税制の礎「地租改正」農民が泣いたエグい中身 土地の私的所有権が確立したのに手放す者が続出

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大久保利通と西郷隆盛
地租改正を推し進めた大久保利通(左)と不平士族の受け皿になりつつあった西郷隆盛(左写真:iLand/PIXTA、右写真: koro/PIXTA)
倒幕を果たして明治新政府の成立に大きく貢献した、大久保利通。新政府では中心人物として一大改革に尽力し、日本近代化の礎を築いた。
しかし、その実績とは裏腹に、大久保はすこぶる不人気な人物でもある。「他人を支配する独裁者」「冷酷なリアリスト」「融通の利かない権力者」……。こんなイメージすら持たれているようだ。薩摩藩で幼少期をともにした同志の西郷隆盛が、死後も国民から英雄として慕われ続けたのとは対照的である。
大久保利通はどんな人物だったのか。実像を探る連載(毎週日曜日に配信予定)第51回は、大久保利通が推し進めた「地租改正」をめぐる苦難に迫ります。
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<50回までのあらすじ>
薩摩藩の郷中教育によって政治家として活躍する素地を形作った大久保利通。21歳のときに父が島流しになり、貧苦にあえいだが、処分が解かれると、急逝した薩摩藩主・島津斉彬の弟、久光に取り入り、重用されるようになる。
久光が朝廷の信用を得ることに成功すると、大久保は朝廷と手を組んで江戸幕府に改革を迫ったが、その前に立ちはだかった徳川慶喜の態度をきっかけに、倒幕の決意を固めていく。
薩長同盟を結ぶなど、武力による倒幕の準備を着々と進める大久保とその盟友の西郷隆盛に対し、慶喜は起死回生の一策「大政奉還」に打って出たが、トップリーダーとしての限界も露呈。意に反して薩摩藩と対峙することになり、戊辰戦争へと発展した。
その後、西郷は江戸城無血開城を実現。大久保は明治新政府の基礎固めに奔走し、版籍奉還、廃藩置県などの改革を断行した。そして大久保は「岩倉使節団」の一員として、人生初の欧米視察に出かけ、その豊かさに衝撃を受けて帰国する。
ところが、大久保が留守の間、政府は大きく変わっていた。帰国した大久保と西郷は朝鮮への使節派遣をめぐって対立し、西郷が下野。同じく下野した江藤新平は「佐賀の乱」の首謀者となった。大久保は現地に赴き、佐賀の乱を鎮圧する。大久保は「台湾出兵」でも粘り強い交渉の末、清から賠償金を得て、琉球も併合。さらなる大改革に乗り出していく。

地租改正の事務局総裁になった大久保利通

この国を欧米と肩を並べる近代国家へと成長させなければならない――。大久保利通の並々ならぬ決意には、いつも1つの問題がつきまとった。国家財政の乏しさである。

それを解決するための施策が「地租改正」だ。大久保は「大阪会議」で木戸孝允を政府に復帰させて内政に専念すると、すぐさま「地租改正事務局」を設置。自ら事務局総裁となった。

大久保がまずはやったことは、事務局の部屋の畳をひっぺがして、テーブルと椅子を置くことだ。当時、租税頭だった薩摩藩出身の松方正義から「畳からわざわざ変えるのは不経済ではありませんか」と尋ねられると、大久保は真意を語った。

「人心の大刷新と政務の大改革とを断行しようとするならば、まずはその居より改めて気分を移さねばならない。些細な事から改革して、人心を新にすべきである」

些細なことからまずは改革していく。少しでも前進させたい大久保らしい心構えだが、それだけ地租改正には困難が伴うということでもあった。

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