「奨学金520万円」65歳大学教授の踏み込んだ提言 「学歴にグラデーションをつけて支援すべきだ」

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奨学金520万円を借りて、その後、大学教授になった厚木大輔さん(仮名・65歳)。多くの学生と接してきたからこそ、奨学金制度には思うことが多いようです(写真:Ushico/PIXTA)
これまでの奨学金に関する報道は、極端に悲劇的な事例が取り上げられがちだった。
たしかに返済を苦にして破産に至る人もいるが、お金という意味で言えば、「授業料の値上がり」「親側におしよせる、可処分所得の減少」「上がらない給料」など、ほかにもさまざまな要素が絡まっており、制度の是非を単体で論ずるのはなかなか難しい。また、「借りない」ことがつねに最適解とは言えず、奨学金によって人生を好転させた人も少なからず存在している。
そこで、本連載では「奨学金を借りたことで、価値観や生き方に起きた変化」という観点で、幅広い当事者に取材。さまざまなライフストーリーを通じ、高校生たちが今後の人生の参考にできるような、リアルな事例を積み重ねていく。

ありがたいことに多くの応募が寄せられる本連載だが、とくに多いのは「奨学金を正しく活用することで、貧困から脱出できることを知ってほしい」というメッセージだ。

確かに高校を出てそのまま就職するより、数百万円の借金を背負ったとしても、大卒資格を得たことで結果的に収入が多くなった……という人は実際たくさんいるだろう。しかし、当たり前だが人生はお金がすべてではない。収入を増やすよりも「興味あることに打ち込みたい」「後身の育成をしたい」という想いを持って生きている者もいる。

戦後の混乱と経済格差

厚木大輔さん(仮名・65歳)は四半世紀にわたって、大学で教員をしてきた人物だ。彼は奨学金を借りた理由を「家庭環境、経済力」と振り返るが、話を聞けばそれよりも戦後の混乱の影響が強いといえよう。

「父は樺太出身でしたが、終戦時に旧ソ連の侵攻に遭い、土地、財産すべてを没収された挙句、シベリアに連行され、強制労働させられました。そして、終戦から1年後の1946年に、本土の東北地方に移住し、そこから10年近く経って私が生まれるわけですが、戦後の混乱期なわけですから、もう家族は生きるのが精一杯。父からしてみれば、もはや『無一文からのスタート』でした。さらに、当時は日本全体が貧しかったとはいえ、戦時中から本土にいた人たちと、引揚者たちの間では、経済格差がとんでもなかったようです」

一口に奨学金といっても、年代や時代背景によっては借りた理由が変わるのが本連載の醍醐味だが、なかなか個性的だ。

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