入管収容死ウィシュマさんの故郷を訪れ見た光景 「日本で英語を教えたい」という夢を抱いていた

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リビングの奥にある、ふたつのベッドが並ぶ小さな部屋は、3姉妹が仲良く過ごしてきた場所だった。クローゼットには幼い頃の服や、日本に発つ直前まで着ていたサリーが重ねられていた。

三女のポールニマさんとウィシュマさんは、お気に入りの服を着ては鏡の前でポーズをとり、「ママ、どう? きれいでしょ?」と、写真を撮ってはしゃいでいたと、スリヤラタさんは目を細めながら語ってくれた。

ポールニマさんが、この部屋に宿る思い出をこう振り返ってくれたことがある。「写真を撮るのは2人とも大好きで、いくら撮っても足りないくらいでした。姉と私は同じベッドで寝ていましたが、遅くまでおしゃべりをしたり、その日の写真を見せ合ったり、じゃれ合ったり、まるで親友同士のように過ごしていたんです」

ウィシュマさんの残したものを一つひとつ見かえしながら、スリヤラタさんの目からまた、ぽろぽろと涙があふれてくる。「どうしてこんなことに……ウィシュマの遺品を捨てることなんてできません……」

「部屋を絶対に、このままにしておいてね」

日本に発つ前、ウィシュマさんはワヨミさんたちに、「部屋を絶対に、このままにしておいてね」と言い残していったそうだ。それは、「私はいつか、帰ってくる」という意思の表れだったはずだ。

それから毎日のように、私はウィシュマさんの家で食卓を囲み、家族の手料理に舌鼓をうった。

庭にはえている「コッチ」と呼ばれる唐辛子は、飛び上がるほどの辛さで、鶏肉の炒め物やカレーに入れて食べると、滝のように汗が噴き出してくる。「サライ(辛い)、サライ!」と繰り返す私の様子に大笑いしながら、家族たちは自然と、ウィシュマさんの思い出話をするのだった。

「この鶏肉の炒め物、ウィシュマがレシピを考えたのよね」「仕事から帰ってくると、『お腹空いたー!』ってこの部屋にかけこんできたわね」「ほら、日本に行く前は、そこの机に座ってずっと、辞書を引きながら勉強してたじゃない」――。

この家にいると、会話の中心にはいつも、ウィシュマさんがいた。まるで昨日まで、この部屋で生活をしていたかのように。

夕食の片付けも終わり、夜も更けてきた頃、屋根を打つスコールの音はいつの間にか、コロコロと鳴く穏やかな虫の音に変わっていた。

リビングの薄暗い灯りの下で、スリヤラタさんはぽつんと一人座り、地元の新聞を眺めていた。ウィシュマさんが亡くなった直後、事件のことが写真入りで大きく掲載されていた紙面だった。物思いに沈むようにじっと、生前のウィシュマさんの写真を眺めていたスリヤラタさんは、またぶるぶると肩を震わせながら、両手で顔を覆った。

その様子を察してか、寝室にいた86歳になる祖母のミリさんが、そっと歩み寄り、まるで小さな少女を愛おしむように、しわだらけの手で優しくスリヤラタさんの頭をなでた。

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