ソ連東欧圏を崩壊させたゴルバチョフ氏の君主論 最後の書記長が残したウクライナ問題という火種

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2012年11月、自叙伝の出版イベントに出席したゴルバチョフ氏(写真・Copyright 2012 Bloomberg Finance LP)

2022年8月30日、ミハイル・ゴルバチョフが亡くなった。享年91。ソ連邦を破局に追いやった書記長だが、どの書記長より長く生きた。歴代のどの書記長よりも、ほほ笑みと人間らしさをもった人物でもあった。人物に評価を下すのは、難しい。時代の変化によっていくども評価は変貌するからだ。ただ鉄壁を誇ったソ連・東欧体制を破壊した人物という評価は永久に残るであろう。しかし、それだけに政治家としての評価については、疑問が多い人物である。

マキャベリの教訓を破った人物

ゴルバチョフという政治家を判断するとき、マキャベリの『君主論』の言葉が思い出される。「君主が真の味方であり真の敵になるとき、すなわち、何のはばかりもなく、一方に味方し他方に敵対する態度を明確に示すとき、その場合にも君主は尊敬される。このように旗幟(きし)を鮮明にする態度は、中立を守ることなどよりも、つねにはるかに有用である」(岩波文庫、河島英昭訳、165ページ)。

おそらくゴルバチョフは、敵であるアメリカに好かれたという点、そしてソ連において嫌われたという点において、マキャベリの教訓を破った人物であったといえる。それが1991年8月のクーデターであった。そしてそれが、70有余年のソ連というマルクス主義の歴史を一瞬にして葬りさったのである。

ゴルバチョフは、1985年3月にソ連の書記長になった。ペレストロイカといわれる大改革を党大会で打ち上げた。1982年のブレジネフ書記長の死後、1964年以降続いていたブレジネフ=コスイギン体制が壊れたことで、ソ連は政治的危機を迎えた。アンドロポフ、チェルネンコといった書記長が次々と亡くなり、一気に若返りが進む。そして若いゴルバチョフが選ばれたのだ。そして変革(ペレストロイカ)という標語と、グラスノスチ(情報の自由化)という標語を掲げて登場した彼は、新しい時代を象徴することになった。

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