「仕事に専門性がない」と嘆く人に欠けた視点 『左ききのエレン』から学ぶ"あなたらしさ"

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表現方法は違いますが、『左ききのエレン』の中で光一もエレンも「本気」をテーマにして生きています。本気とは外界の何かに動かされることなく、自分自身の内発的なエネルギーを源に生きていたり働いている状態です。

当然、スポーツで言えば、外発的な「やる気」で動くよりも、内なるエネルギーである「本気」でプレイしているアスリートやチームのほうが間違いなく強いはずです。

ややもすると人は外発的にやる気で動く傾向が強いのですが、そんな中でこの漫画は「本気」について考えさせる大事な役割を担っているように感じます。スポーツシーンではなく、働くシーンや人生にも置き換えて「本気」を考えさせるのです。

スペシャリストか? ジェネラリストか?

『左ききのエレン』には数々の名セリフが登場します。そのどれもが人生を本気で生きている登場人物ならではの言葉で、深く考えさせられます。そのうちの1つがこちらです。

「この分野なら負けないってのがスペシャリストで、色々な分野を広く知っているのがジェネラリスト」加藤さゆり(2巻63ページ)

広告代理店で後輩の由利奈と1つの案件に取り組む際、アイデアが出ない光一が高校時代の記憶の中から思い起こした幼馴染のさゆりの言葉です。デザイナーを目指す光一にとってスペシャリストは魅力的でした。

しかし光一が「オレはスペシャリストだな」と言った瞬間にさゆりに「デザイナーにもジェネラリストタイプはいると思うけどね」と反論されます。さらに、広い視点で第3の道を見つけるデザイナーもいるという提案をされます。スペシャリストに憧れる光一はエレンのような圧倒的スペシャリティにとらわれて、迷いの中にいるのです。

社会はスペシャリスト至上主義を称えてきました。わたしのいた医療の世界でも同様です。それぞれの専門家がたくさん生まれて細分化されましたが、同時に「総合的にその人を診る」ということが減ってしまったのです。広く浅く何よりも患者さんに総合的に対応するドクターが少ないと感じます。

その結果、患者さんはいろいろな科でその都度診てもらわなければならなくなり、より不便になっているのです。専門性を否定しているわけでなく、総合性の価値を忘れてはならないと言いたいのです。

わたし自身、少しでも全身疾患に対応できるよう膠原病リウマチ内科を専門として選択しましたが、そこで少しでもジェネラリストに近づくため、健康医学の代表でもあるスポーツ医学を学び、最終的に行きついたのがスポーツ心理学となります。

病は気からというようにすべての人は心を持って生きていると気づいたからです。どの人にも関わる「健康の源としての心」のサポートを通じて、より多くの人を診るということを目指しています。

それも専門だといわれてしまえば身も蓋もないですが、もちろん限界はあるものの、ジェネラリストというスペシャリストをわたしは追い求めていると声を大にして言いたいと思います。

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