―JARI― 車好きだけが知っている4文字の正体 谷田部から城里へ移設し「ADAS」試験も可能に

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JARI城里テストセンター
JARI「城里テストセンター」(写真:日本自動車研究所)

JARI。このアルファベット4文字を見て、ピンとくる人は多くないかもしれない。しかし、クルマ好きの人なら、谷田部(やたべ)という地名とともに、特定のシーンを即座に思い出すのではないだろうか。

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JARIとは、日本自動車研究所(Japan Automobile Research Institute)の略称であり、谷田部とはつくば市の一部になった茨城県の町の名前だ。今も常磐自動車道のインターチェンジにその名が使われているが、昔はJARIの施設の1つである高速周回路がこの地にあった。

この高速周回路は、1960年代から約半世紀もの間、自動車メーカーやサプライヤーの研究開発だけでなく、自動車/2輪車専門誌の最高速度や加速性能をテストする場としても使われ、数え切れないほど多くの誌面を飾ったものだ。

筆者も若いころ、2輪車メディアの取材で、デスクワークが終わった夜に編集部を出て、谷田部の敷地内にある施設で仮眠を取り、日の出を合図に始まる撮影に立ち会ったことがある。

最高速度80km/hから190km/hへ

この地に高速周回路が完成したのは、1964年のことだ。当時、まだ日本の自動車メーカーの多くは発展途上であり、現在のように自前のテストコースを持つような資金力を持ち合わせていないという理由もあった。

それ以前にも、公的機関が所有するテストコースがなかったわけではない。通商産業省(現・経済産業省)工業技術院が東京都東村山市に機械試験場を持っており、谷田部ができる前は自動車雑誌のテストもここで行われていた。

しかし、それは第2次世界大戦前に設計された試験場だったこともあり、1周の距離は約2km、設計上の最高速度は80km/hにすぎず、高速道路の開通を控えていたことを考えれば、あきらかに役不足だった。

そこで日本自動車工業会の中にテストコース建設のための委員会が設立され、谷田部町(当時)に造ることが決定。1961年に財団法人 自動車高速試験場が設立され、3年後に高速周回路が完成した。1周5.5km、最高速度190km/hという、高速時代を見据えた内容だった。

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