日本人が知るべき戦争「飢餓との戦い」悲惨な実態 太平洋戦争末期の前線では米軍の攻撃より切実に

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戦時中のトラック島(写真:AP/アフロ)
太平洋戦争末期、長野県松本の郷土部隊である「松本百五十連隊」は、太平洋における日本海軍の最大の根拠地であり、戦艦「大和」「武蔵」も停泊したトラック島(現チューク諸島)に派遣された。
ところが、連隊の主力はトラック島到着直前の昭和19(1944)年2月17日、アメリカ機動部隊のトラック島攻撃に遭遇し、その乗船を撃沈されて多数の人員と装備の全部を失うこととなる。その後、戦線が硫黄島などに進み、トラック島は補給の途絶したまま、とり残された。
身一つで救助されてトラック島に到着した連隊主力は、その後の1年半を、空襲にさらされながら、陣地構築と飢餓との戦いを生き抜くことになる。
『あゝ野麦峠』著者である山本茂美氏が、その生存者に徹底取材し、克明にして膨大なメモからまとめた無名兵士たちの哀史『松本連隊の最後』を一部抜粋・再構成し、今回はトラック島での食料不足の実態をお届けする。

連合艦隊はほとんど壊滅

アメリカのフィリピン攻略作戦は昭和19(1944)年秋である。10月10日の台湾沖航空戦、10月20日のレイテ島上陸、10月24日のフィリピン沖航空戦と、いわゆる連合艦隊の「捷号作戦」発動以来、運命をかけた大会戦で連合艦隊「武蔵」以下のレイテ湾突入もついに、天佑神助もなく、文字どおり大敗北に終わった。将兵たちの“神さま”でさえあった連合艦隊は、ほとんどここに壊滅した。

駆逐艦「藤波」もこの日最後の艦隊泊地ボルネオ島のプルネーを出撃、フィリピン、シンプソン海で敵機動部隊の攻撃を受け、戦艦「武蔵」とともに消えた。これが連合艦隊の組織的な最後の海戦である、とともに最大の敗北となった。

そして駆逐艦「藤波」は松本連隊を乗せた輸送船団を護衛したあの日から8カ月後、昭和18(1943)年7月大阪藤永田造船所で進水以来、たった1年3カ月の短命だった。

そのころ松本連隊の将兵たちは、トラック島の固い玄武岩の岩磐にハッパをかけて、必死に芋畑を開拓し飢えとの戦いにあけくれて、あの勇敢だった海のつわものたちの死などもちろんだれ知るよしもなかった。

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