33歳がんで逝った男が投じた闘病記への重い一石 2013年に消失した痕跡が2021年に復活した理由

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2021年に復活した「TEKNIX」と奥山貴宏さんの著書(筆者撮影)
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故人が残したブログやSNSページ。生前に残された最後の投稿に遺族や知人、ファンが“墓参り”して何年も追悼する。なかには数万件のコメントが書き込まれている例もある。ただ、残された側からすると、故人のサイトは戸惑いの対象になることもある。
故人のサイトとどう向き合うのが正解なのか? 簡単には答えが出せない問題だが、先人の事例から何かをつかむことはできるだろう。具体的な事例を紹介しながら追っていく連載の第20回。

サイト消滅の8年後に突然現れた「跡地」

<本サイトは、かつてこのドメインで公開されていた故・奥山貴宏さん個人のサイト保護を目的としています。
彼に関する連絡は、teknix@teknix.jp までメールをお願いします。
現在は削除されて直接みられませんが、下記のインターネットアーカイブ経由で閲覧できますので是非ご覧ください。
https://web.archive.org/web/20090301113447/http://www.teknix.jp/
(更新日:2021/04/13)>
(現存のTEKNIXトップページより)

かつて「TEKNIX」(テクニクス/http://teknix.jp/)というサイトがあった。肺がんにより、33歳の若さで亡くなったフリーライターの奥山貴宏さんが運営していたホームページだ。2000年代前半に累計300万アクセスを超える人気を誇った。

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主が去ってから8年間はそのままの状態で放置されていたが、ドメインの契約が切れたとみられる2013年に「肺癌になってしまったら」という別人が運営するサイトに切り替わった。アクセスが多いサイトの跡地(オールドドメイン)には価値があり、居抜き物件としての需要は今も昔もある。TEKNIXの人気にあやかって作られたとみられるが、やがてそのサイトも姿を消し、誰にも使われない空白ページだけが残されるに至った。その状態が4年ほど過ぎたある日、冒頭で引用したページが突如立ち上がった。

サイトの更新が止まって16年。サイトが消滅して8年。そこから再び縁のあるページが復活するという事例はめったに聞かない。TEKNIXの“碑”が時間をおいて現れた背景には何があるのだろう? そこを知るには、まずはTEKNIXそのものをたどる必要がある。

TEKNIXはフリーライターとなった奥山さんが自身の仕事の発信拠点として立ち上げたサイトだ。TEKNIXはTechnologyと1950年代のアメリカで流行したサブカルチャー「Beatniks」を掛け合わせた奥山さんの造語であり、ライターとしての屋号でもある。当時のサイト紹介には「自分の持っている資質としてコンピューターなどのテクノロジーを追求している部分と文章を愛し放浪するビートニクな部分の両方を仕事でうまく生かせることを願って命名いたしました」とある。

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