出井伸之が84年で形作った「華麗なる人脈」の凄み ソニー初の生え抜きサラリーマン社長が歩んだ人生

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昨年3月のインタビューでは眼光鋭く迫力のある姿に同席した編集者も圧倒されていた(撮影:尾形文繁)

ソニー(現ソニーグループ)の社長や会長を務めた出井伸之氏が6月2日に84歳で亡くなり、新聞、テレビをはじめとするほとんどのメディアで報道された。

創業者ではなくサラリーマン経営者(専門経営者)にもかかわらず、これほど大々的に取り上げられた経営者もめずらしい。既出の出井氏死去に関するメディア情報のほとんどは、発信者がジャーナリスト、大学教授、元社員の誰であろうが、出井氏の経営者としての功罪について紹介、解説する内容だった。そこで本稿では、出井氏がフランス通であったこともあり、ギ・ド・モーパッサンの長編小説『女の一生』にあやかり、出井伸之氏という「男(サラリーマン)の一生」を敢えて属人的な視点から振り返ってみたい。

筆者は、昨年(2021年)3月2日に、出井氏が69歳にして創業したクオンタムリープで、出井氏に単独インタビューした。その内容は「東洋経済オンライン」に掲載してある。(出井伸之「日本はアジアの真価をわかってない」2021年3月19日配信

「僕はいつも未来しか見ていませんから」

このインタビューで、出井氏は開口一番、「83歳になってしまいましたよ」と照れながらも、そのダンディーな出で立ち、論理的で強い語り口は、私が初めて会った約30年前とほとんど変わらなかった。分かれ際、エレベーターまで送ってくれた出井氏に、「いつまでもお元気で」と挨拶した。そのとき、いつものクールな表情が一瞬崩れ、顔から笑みがこぼれた。まさか、その僅か1年3カ月後に天に召されるとは思いもよらなかった。

出井氏とともに仕事をしたソニーグループの幹部も、驚きを隠せない。

「私も数カ月前に、とあるイベントで同席する機会があったのですが、その際もとても元気でしたし、コロナ後の海外出張に想いを馳せてましたので驚きました」

まさに想定外の訃報だった。

インタビューを始めると、出井氏は牽制球を投げるかのごとく、次の言葉を口にした。

「ソニーに関しては、一切話しません。僕はいつも未来しか見ていませんから」

83歳にして「未来しか見ていない」という前向きな言葉の裏には、あちらこちらのメディアから批判されたソニー時代からの過去を振り返りたくない、という意味も込められていたのだろう。

経営は結果なのだから、「終わり悪ければすべて悪し」となる。だが、サラリーマン・出井氏の人生は「すべて悪し」だったのだろうか。人生、山あり、谷ありだが、出井氏はそれを楽しんできたようだ。新卒で入社して、日本を代表するグローバル企業・ソニーのトップに上り詰めたサラリーマン(ビジネス・パーソン)の人生を、成功と失敗の両面から探ると、ほかの記事では読み取れない「人間・出井伸之」の本質が見えてくる。

「男(出井氏)の一生」は1923(昭和12)年に始まる。5人兄弟(姉3人、兄1人)の末っ子として生まれた。兄・譲治氏は16歳のときに病死したため、出井氏が自ら「私はおぼっちゃま育ち」と言わしめるほど、唯一人の男子として大切に育てられた。お母さん(綾子さん)が遠足についてくるほどだった。

お父さんの出井盛之(せいし)氏は、早稲田大学の教授(経済学)で、スイス・ジュネーブにある国際労働機関(ILO)でも勤務していた。そのため、息子にも研究者の道を歩んでほしいと思っていたようだが、伸之氏は「親離れ」し、別の道を歩みたいという思いを募らせていた。

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