第一次世界大戦の遠因もロシアの南下政策だった 「スラブ民族の保護者」を自称するロシアのエゴ

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ロシアが奪ったウクライナ船(写真:Brendan Hoffman/New York Times)
ロシアのウクライナに対する軍事侵攻が続いている。なぜ、このような事態に至ったのか、また、今後の動向はどうなっていくのか――それらを考えるうえで、過去の戦争と外交の歴史を振り返って検証してみることが有効だ。『知略を養う 戦争と外交の世界史』より、第一次世界大戦の際、ロシアはどのような野望を持ち、どう動いたのかを改めてたどってみる。

「スラブ民族の保護者」ロシアの南下政策

バルカン半島を中心とする東ヨーロッパの南部から黒海までを支配下に置く強国、オスマン朝の勢力に陰りが生じたときを契機として、オーストリアのバルカン半島への南下政策が積極的になります。さらにもうひとつ、オスマン朝の敗戦を好機としてロシアの南下政策も激化し、新たな火種を生んでいきます。

北の大国であるロシアは、海外へ進出するために不可欠な、冬でも使用可能な不凍港をいつも求めていました。すでに1696年にピョートル一世は、黒海の内海であるアゾフ海を占領しています。さらにその後、オスマン朝が第二次ウィーン包囲作戦でオーストリアに大敗したことを機に、ロシアの黒海への進出工作が露骨になります。

特にロシア皇帝・エカチェリーナ二世(在位1762―1796)は、ロシア・トルコ戦争を繰り返しました。1774年にはオスマン朝から黒海の自由航行権を獲得し、黒海北岸の一部を割譲させました。さらに1792年には、ヨーロッパがフランス革命による騒乱の中にある隙を突くように、クリミア半島を併合してしまいます。このことによってロシアは、黒海に臨むクリミア半島の良港を得ました。代表的な港がセヴァストポリです。

さらにロシアはバルカン半島に対して、宗教的保護者の立場にあると主張します。そこには次のような経緯がありました。

キリスト教は1054年に、ローマ教会と東方教会に分裂しました(大シスマ)。東方教会の大本山はコンスタンティノープル教会で、最高の権威者であり、保護者の立場にあったのは東ローマ帝国の皇帝でした。

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