日中の「国交」を50周年で捉えると本質を見誤る訳 正常化とは何を意味するか、日中関係の歴史的視座

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「日中国交正常化50周年」とは言うけれど、両国間をめぐる歴史はそれよりはるかに長い(写真:freeangle/PIXTA)
米中貿易戦争により幕を開けた、国家が地政学的な目的のために経済を手段として使う「地経学」の時代。
独立したグローバルなシンクタンク「アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)」の専門家が、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを、順次配信していく。

「国交正常化」とは何か

今年は「日中」の「国交」が「正常化」して「50周年」、本稿もその余波で生まれた。さりながら脱稿した今も、このテーマにはなお釈然としていない。

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「50周年」とは、現在の中華人民共和国と「国交」を結んだ1972年から数えた数字であり、「正常(化)」とは日中共同声明にいうそれ以前の「不正常な状態」と対比した概念である。そう厳密に限定するなら、ひとまず差し支えない。

しかし1949年の中華人民共和国建国から四半世紀ほどの日中関係を、正常でない、異常だったと解するなら、強い違和感を覚える。世上の理解はどうも当時から、そちらに傾いているように見えてならない。

「国交正常化」がいつ、どのようにできた術語なのか、寡聞にして知らない。当時にはそれなりの理由と経緯はあったのだろう。しかし少なくとも現在からみれば、ミスリーディングな字面であるとは断言できる。

長い歴史でみてみると、「国交」に限らない「日中」の関係なら、遣隋使・遣唐使から数えても1500年ほど続いてきた。そのうち正常な国交と称してよい事態は、史実としていかほどあったのか。

国交と呼ぶ以上、国際関係にもとづく、政府間の公式対等な通交にほかならない。たとえば日米関係は、ペリーの「開国」・条約締結からはじめるはずで、それなら日中関係史上、そうだったのは1871年に双方が条約を結んだ日清修好条規からである。おおよそ現代まで、日米は170年足らず、日中のほうが150年間と少ない。1500年からすれば10の1、「正常化」の「50」年なら30分の1と、いずれもごくわずかの期間である。

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