長時間労働の大きな要因となっている「給特法」

公立学校教員には残業代が支払われない。この理不尽な現実は、教育界の外にはあまり知られていない。

公立学校教員の残業代不払いを合法化する法的根拠が、1971 年に制定された給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)だ。給特法により、同じような教員として働く国立や私学の教員には支払い義務が課される残業代だが、公立学校の教員にだけは合法的に支払われないのだ。

給特法は、1966 年当時の残業時間が月8時間程度であったことから給料月額の4%相当の「教職調整額」を支給する代わりに、時間外勤務手当および休日勤務手当は支給しないとされ、他方で、いわゆる超勤4項目(1. 校外実習等、2. 学校行事、3. 職員会議、4. 非常災害等)を除き、教員に時間外労働を命じることはできない建前になっている。

しかし、現実には教員の「自発性」による業務遂行とされ、部活動指導などを典型とする恒常的な時間外勤務を強いられてきた。しかもこれが「労働」として取り扱われず、時間外労働が常態化している。

現在、公立学校教員の長時間労働が大きな社会問題となり、過労死なども起きている。国の調査では、うつ病など精神疾患から休職に陥る教員はほぼ毎年 5000 人以上とされ、疲れ切った教員による教育の質の低下を生み、教員志望者の減少・教員不足という大きな問題もこの給特法が要因だといえる。

給特法と長時間労働の密な関係

給特法による残業代不払いの合法化と長時間労働に密接な関係があることは、労働問題の専門家にとっては常識だが、そのスキームは世間にはあまり理解されていない。

労働基準法が、残業代の割増賃金支払いを命じている趣旨は、長時間労働の抑制だ。使用者は労働者を残業させると、その労働者の時間単価以上の割増分をも含む残業代の支払いを命じられる。この残業代支払いを避けるためには、使用者は労働時間削減に向けて真摯に努力するしかなく、長時間労働抑制につながるというのが法の狙いだ。

しかし、給特法下では、使用者に残業代支払い義務が課されず、労働時間管理の意識が鈍くなり、労働時間の管理もあいまいになる。管理職が教員に過大な業務を命じていても法的には教員の自発的な行為とされ、使用者には残業代支払いのコスト意識が働かず、業務量を増やすことに躊躇がなくなり、長時間労働が蔓延する元凶となっているのだ。

では、どうすべきか。長時間労働是正のために、まず必要なのは教員の労働時間を厳密に把握することだ。労働時間を正確に把握しなければ、客観的な勤務実態(=長時間労働)を社会に突きつけ、実態を踏まえた法改正の議論も世論喚起もできない。

ただし、これが難問だ。文部科学省での議論でも、給特法が要因となり労働時間把握が困難であることが指摘されてきた。というのは、労働時間を把握するには、忙しい教員に負担がかかり、しかも負担に見合う見返り(残業代)もない。むしろ管理職から、長時間労働について注意指導を受けるリスクもあり(かといってやるべき仕事は減らない)、過少申告するように管理職が指導するケースも報じられている。さらに、教員の特徴として、持ち帰り・休憩なしの労働の蔓延など、労働時間の把握が難しい労働実態もある。

こうした状況を克服すべく、2019年の給特法改正で客観的な労働時間把握を義務づけた上限ガイドラインが指針へと格上げされ、法令上の根拠が付与された。

具体的には、教育委員会が講ずべき措置として、教育職員が在校している時間は、ICTの活用やタイムカードなどにより客観的に計測し、校外で職務に従事している時間もできる限り客観的に計測することが求められるようになった。また指針では、原則として残業時間(正確には在校等時間と呼ばれ、基本的に持ち帰り労働は含まれない)を月45時間とする残業の上限規制も導入された。

しかし、現状はといえば、労働時間の厳密な把握もないし、残業の上限規制も罰則がなく、野放し状態だ。やはり働かせ放題を合法化する給特法を放置し、長時間労働の是正をするのは無理なのだ。

給特法の改正、「予算の壁」は本当か?

嶋﨑量(しまさき・ちから)
弁護士
1975年生まれ。神奈川総合法律事務所所属、ブラック企業対策プロジェクト事務局長、ブラック企業被害対策弁護団副事務局長、反貧困ネットワーク神奈川幹事など。主に働く人や労働組合の権利を守るために活動している。著書に『5年たったら正社員!? 無期転換のためのワークルール』(旬報社)、共著に『#教師のバトン とはなんだったのか 教師の発信と学校の未来』『迷走する教員の働き方改革 変形労働時間制を考える』『裁量労働制はなぜ危険か 「働き方改革」の闇』『ブラック企業のない社会へ 教育・福祉・医療・企業にできること』(いずれも岩波ブックレット)、『ドキュメント ブラック企業ー「手口」からわかる闘い方のすべて』(ちくま文庫)など
(写真:嶋﨑氏提供)

給特法改正を訴えると、必ず指摘されるのが「予算の壁」だ。給特法を変え残業代を支払うと多額の国家予算がかかり、財政難の中で教育予算の支出は難しいと指摘されるのだ。しかし、多額の国家予算がかかることを前提に議論するのは、法制度の趣旨からも誤っている。

給特法改正後のゴールは、教員への多額の残業代支払い(=長時間労働放置)ではない。むしろ、残業代支払いという予算支出を避けるための、本気の業務改善などによる労働時間削減が期待される。要するに給特法改正のゴールは、残業代の支払いを避けるための業務改善による労働時間削減だから、多額の予算が支出されるという推計で長時間労働放置を前提とした制度設計を議論すべきではないのだ。

仮に業務改善に時間を要することなどから一定の予算支出は避けられないとしても、ほかの公務員などとの均衡も直視されねばならない。例えば、同じく予算が支出される自衛官・消防士・警察官に残業代が支払われるのに、なぜ教員には支払われないのか。この不公平・不均衡を直視すれば、やはり予算支出を「壁」と考えるべきではないのだ。

仮に教員の残業代が多額になっても、これを最終的に負担するのは、財務省でも政治家でもなく納税者である私たち市民だ。

そして現状、教員の長時間労働による無賃労働のサービスを享受し、多くの業務負担を学校教員に要求してきたのも、人手不足・疲れ果てた教員による教育の質低下による影響を被るのも、私たち市民だ。

給特法の問題は、教員の残業代という教育界の問題ではなく、教育の質に関わる社会全体の課題なのだから、きちんと訴えれば必ずひとごとではない自身の問題と受け止めてもらえ、給特法も変えていけるはずである。

そのためにも、一人ひとりの教員が自ら、主体的に閉ざされがちな学校・教員職場の実態を明らかにするよう、声を上げていくことも求められている。

(注記のない写真: Ushico / PIXTA)