フィリピン大統領選で独裁者の息子が有力なワケ 巧みなSNS戦略、母の執念、エリート層への不満

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2022年4月29日、選挙戦中のフェルディナンド・マルコス・ジュニア(ボンボン)候補。かつての独裁者の息子の家系が、再び復権しようとしている(写真・Bloomberg Finance LP)

フィリピンの大統領選の投票が、2022年5月9日に実施される。相次ぐ暴言や超法規的殺人も辞さない麻薬撲滅戦争で名を馳せた現在のドゥテルテ大統領の後継者は誰になるのか。

情勢調査で首位を独走するのは、故フェルディナンド・マルコス元大統領の長男ボンボン・マルコス元上院議員(64)だ。レニー・ロブレド副大統領(57)をはじめ他候補も大規模集会を重ねて追い上げを図るが、ボンボン氏の逃げ切りが濃厚だ。

日本人をはじめフィリピン国外に住む50歳以上の人には不思議な光景に映るだろう。なぜなら36年前、腐敗と人権侵害の象徴とされたマルコス独裁政権を、街路を埋め尽くす「ピープルパワー」で追い出したフィリピンの人々の姿が鮮烈だったからだ。「革命」は日本をはじめ世界各国のテレビで実況中継され、その後の東欧や韓国、台湾などの民主化に大きな影響を与えたとされる。

そのマルコス家が選挙に勝って復権を遂げ、マラカニアン宮殿に戻ってくるとすれば、あの「革命」は何だったのか。フィリピン人は無血の民主化運動に誇りを持っていたのではなかったのか。そんな疑問が次々と頭をもたげてくる。謎を探るべく現地に入って取材を進めている。

ボンボン氏とは何者か

ボンボン・マルコス氏とは何者なのか。ボンボンは愛称であり、フルネームはフェルディナンド・マルコス・ジュニア。BBM と略される。1957年、大統領の父とイメルダ夫人の間に第2子として生まれた。

父は1965年に大統領に就任し、21年にわたって強権的な独裁体制を敷いた。1972年には悪名高い戒厳令を布告し、反政府活動を封じ込めた。世界的な人権擁護団体であるアムネスティ・インターナショナルによると、マルコス政権下で約7万人が「国家の敵」として拘束され、3万4000人が拷問を受け、3000人以上が殺害された。

ボンボン氏は1980年、父親の出身地で強固な選挙地盤である北イロコス州の副知事に無投票で選出され、3年後に知事になった。その年、大統領である父の政敵ニノイ・アキノ元上院議員が亡命先のアメリカから帰国した際、マニラ国際空港で射殺されたことをきっかけに反マルコス運動が盛り上がった。マルコス父は1986年2月の大統領選でニノイ氏の妻コラソン・アキノ氏と争ったものの、街頭を埋め尽くした「ピープルパワー」に追い出される形で家族ともどもアメリカに亡命した。

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