いい学校へ行けばいい人生が送れると考える親は古い

2006年に大阪市立大空小学校の初代校長となった木村泰子氏は、就任直後から、子どもたちが生きる未来の社会はどんなものになるかを考えてきた。その社会ではどんな力があれば幸せに生き抜くことができるのか、その実現のためにどんな教育が求められるのか。新設されたばかりの小学校の教育理念を定めるため、この逆算の思考は欠かせないプロセスだった。共に働く教員たちとの話し合いの中で挙がったのが、「多様性・共生・想定外」というキーワードだ。以来、木村氏はこの3つを念頭に子どもたちと向き合ってきた。

月日は流れ、22年4月。当時からはさらに想像もできないほど、世界はこれらのキーワードが実感される状況を迎えている。

「私はつねに、10年後、20年後、子どもたちが生きていく社会は予測できないものになると言ってきました。コロナ禍、そして現在進行形のウクライナでの戦争。これらが示しているのはまさに、いつ何があるかわからないということなのです」

予測できないことが起きたとき、自分で考えてクリアする力をつけることが重要だと語る木村氏。どんな社会になるかを予想して対処法を教えるだけの教育は「戦後のニーズに基づく古い考え」だという。

「いい学校に行っていい会社に入ればいい人生が送れるというのは、予測可能な範囲で正解を教える教育の発想です。想定外の未来ではこうしたセオリーは通用しません。最近は受験の低年齢化や過熱化も取り沙汰されていますが、これは今の保護者の中にはまだ、過去の教育を受けてきた古い世代が多くいるからです。私はあと3年から5年で、そのような価値観の保護者が激減すると思いますし、すでにその過渡期にあると考えています。こうしたことに気づいている保護者もすでに大勢いると感じています」

では、想定外の事態をクリアする力はどう伸ばせばいいのか。木村氏は大空小時代、4つの力を軸に子どもたちと向き合ってきた。

1つ目は「人を大切にする力」だ。これは多様性にもつながることで、相手も自分も大切にすることを指す。この力が伸びるかどうか、周囲の大人が与える影響は大きいという。

「もし子どもに『人に迷惑をかけるな』と言って育てれば、迷惑をかける人を許せない人になってしまう。『役に立つ人になれ』と言い続ければ、役に立たない自分では駄目なのだと考えて、自尊心が保てなくなってしまいます。大人でもこうした考えの人が多く、それは現在の生きづらい社会の一因にもなっていると思います」

2つ目の「自分の考えを持つ力」や3つ目の「自分を表現する力」は、新学習指導要領にも盛り込まれた「主体的・対話的で深い学び」にも通じるところがあるだろう。

「旧来の教育では、先生の言うことを素直に聞く子ども、みんなと同じことができる子どもがいい子とされてきました。でもそうした時代はもう終わり、今はみんな違うことに価値がある時代になりました。その子がその子らしく育つこと、自分の言葉で語りたいことを語れることが何より大切です」

目的は「見えない学力」、「見える学力」はその手段

4つ目の「チャレンジする力」は、「失敗する力」と言い換えることができるだろう。子どもは安心できる環境でこそ挑戦することができる。間違えたり失敗したりしたことを自覚し、やり直すことが成長につながるのだ。木村氏は、大人は子どもが安心できる環境をつくるだけでいいという。

木村泰子(きむら・やすこ)
大阪府大阪市生まれ。武庫川学院女子短期大学(現・武庫川女子大学短期大学部)卒業。1970年に教員となり、2006年4月から、新設の大阪市立大空小学校の校長を9年にわたって務めた。著書に『10年後の子どもに必要な「見えない学力」の育て方 「困った子」は「困っている子」』(青春出版社)、『学校の未来はここから始まる 学校を変える、本気の教育論議』(共著・教育開発研究所)などがある
(写真:木村氏提供)

「大人が正解を教える必要はなく、失敗したときには『大丈夫?』と聞いて寄り添うだけでいいのです。『大丈夫なわけあれへん!』と助けを求めるのか、『うん、大丈夫やで』と自分で解決するのか。それも子ども自身が決めることです」

こうした4つの力を伸ばすことで身に付くものを、木村氏は「見えない学力」だと説明する。これこそが、予想外の事態を自らクリアする力だ。大空小では4つの力を重視して子どもたちの「見えない学力」を高めたところ、「見える学力」である教科にも結果が表れたそうだ。その成果は大きく、全国学力調査で1位の県を上回った年もあるという。だがそれは「最上位の目的ではない」と木村氏は語る。

「受験の偏差値などの『見える学力』は、『見えない学力』が伸びる環境にいればおのずとついてくるものなのです。反対に『見える学力』だけを熱心に高めても、『見えない学力』はついてこない。『見える学力』を伸ばす教育は、『見えない学力』をつけるための手段にはなるけれど、目的にすべき一番大切な力を高めてはくれないのです」

目的と手段を取り違えてはいけないと繰り返す木村氏。「子どものウェルビーイング」を考えるヒントも、大空小が目的に掲げた「見えない学力」育成の過程にあるという。

「さまざまな環境要因もありますが、ウェルビーイングを実現するためには、子どもが自分自身で幸せになる力をつけることが重要です。他者評価で測ろうとする限りは本当の幸せとはいえないし、それは学力でも同じこと。旧来の『見える学力』は、担任教員などによる画一的な他者評価でした。でも大空小では、子どもが自分で目標を立て、達成度を自分で評価します。これによって、子どもたちは自分の成長や足りないことをしっかり考えられるようになるのです」

本当の学力も本当の幸せも、自分で自分を評価することができるようになってこそのもの。木村氏はそう考えている。

「学級王国」を打破し、子どもを主語に時間を使おう

大空小で子どもたちの「見えない学力」育成に寄与したもう一つの要因が、学級担任制を廃止して導入した「全員担当制」だ。これは固定の担任教員を決めず、すべての教員がすべての子どもを見守るシステムだ。東京・千代田区の麴町中学校で取り入れられて注目されたものだが、木村氏もこの考え方に賛同している。

「関西でも少しずつ導入する学校が出てきていますが、私は閉鎖的な『学級王国』のシステムを打破することが必要だと考えます。子どもにとっては教員の当たり外れがなくなり、相談できる大人が増える。教員も問題を自分一人で抱え込まなくてよくなる。どちらにとってもいいことだと思います」

木村氏が校長を務めていた頃、大空小には28人の教員がいた。見学に訪れた大人に「君の先生は誰?」と聞かれた大空小の子どもは、迷わず「みんな。ここにいる先生ぜんぶ」と答えたそうだ。だがこうした学校のシステム変更には大きな労力が必要になる。時間を割かれること、環境が変わることを嫌う教員もいるかもしれない。

「自分のクラスだけを完璧に見たいと考える教員も、自分の仕事が忙しくて学校改革なんてできないと考える教員もいるでしょう。どちらもその主語は『自分』――つまり教員自身ですが、学校で主語にすべきは『子ども』です。教員の忙しさを言い訳にしてはいけないし、もし子どものために時間を使うことを妨げる業務があるなら、それは全部捨ててしまってもいいはずです」

木村氏は、大空小で学級担任制を廃止して「全員担当制」を導入した
(写真:木村氏提供)

激務や教員・保護者間の軋轢など、教員がやりづらさを感じている現場の問題は、そのまま日本社会の課題だとも指摘する。

「コロナ禍でも、根強い差別と排除の構図が浮き彫りになりました。問題が可視化されたことをむしろラッキーだと捉えて、やり直すチャンスにすればいい。大人が生きづらいと思っている学校や社会のあり方を、改善せずそのまま子どもに渡してはいけません」

教育の力は大きい。だからこそ、その目的を見失ってはいけないと語る木村氏。「保護者も教員も、子どもに対する最上位の願いは、『自律した人間として社会に出てほしい』ということではないでしょうか」と続ける。木村氏の説く「自律」の定義は、人に迷惑をかけないことでも役に立つ人になることでもない。

「本当の自律とは、適度に他者と依存し合えることだと思います。誰しもできないことがあって当然なのだから、うまく周囲とつながって、他者の力を借りながら問題を乗り越えていけばいいのです」

木村氏は子どもだけでなく保護者に対しても、この「適度な依存」の重要性を伝えてきた。

「子どもは子ども同士の関係性の中でこそ成長し、学校の人間関係をアップデートしながら、やがて大人としての関係構築を学んでいくものです。親の思うようになんて育ちません。だから保護者もほかの人の力を借りつつ、失敗したと気づいたらやり直しをしていけばいいのです」

大人にとっても生きづらい現代社会に足りないのは、こうした適度な依存を許し合うことかもしれない。

想定外の未来を生き抜くには、他者の力を借りることも必要だと木村氏は語った。そのためには相手や自分を大切にする力が欠かせないし、挑戦や失敗を認め、許し合うことも重要だろう。これらが当たり前になれば、それは誰にとっても生きやすい社会だといえるのではないか。多様性も共生もウェルビーイングも、寛容な社会でこそ実現するものだ。

大空小が大切にしてきた4つの力は、変わり続ける未来の社会を生きる力でもあり、変えるべき今の社会を変革する力としても作用する可能性を持っている。

(文:鈴木絢子、注記のない写真:Kazpon/PIXTA)