盛者必衰を描く「平家物語」は初戦闘の迫力が凄い 源平合戦のきっかけとなった「橋合戦」の行方

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平氏の棟梁として栄華を極めた平清盛(写真:しんげん。/PIXTA)
NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』やフジテレビ系列のアニメ『平家物語』の放送が始まり、源氏や平氏の歴史に注目が集まっています。
源平合戦の詳細がわかる資料としてよく知られているのが、史実を基に書かれた軍記物『平家物語』です。「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす…」という冒頭部分が有名ですが、その中身もドラマチックに描かれています。今回は、平家物語の初めての合戦シーンである「橋合戦」の魅力について、歴史学者の濱田浩一郎氏が解説します。

諸国の源氏や寺社に決起を促した以仁王

後白河法皇の第3皇子・以仁王は、治承4(1180)年4月、平氏打倒の命令書を諸国の源氏や寺社に発し、決起を促した。その求めに応えたのが、三井寺(園城寺、滋賀県大津市にある天台宗寺院)であった。以仁王を捕縛しようとする平氏方から逃れるために、王は三井寺に逃れる。

以仁王に味方する三井寺は「今、清盛入道の暴悪を戒めねばいつその機会があろうか。宮(以仁王)がこの寺にお入りになったのは、まさに正八幡宮の御加護。神も仏も清盛の調伏にお力をかしてくださるだろう。比叡山や南都にも加勢を呼びかけよう」と延暦寺や興福寺にも、書状を送り、団結を促す(『平家物語』)。

しかし、延暦寺は、天台座主・明雲の衆徒らへの説得もあって、反平氏連合軍には加わることはなかった。南都興福寺(奈良)は「清盛入道は平家のカスであり、武家のゴミくず同然」とのとんでもない返書を三井寺に送り、平氏への敵愾心を露にする。

だが、肝心の三井寺の内部で動揺が起こる。一部の大衆が「平家の館も小勢では容易に攻め落とすことはできまい。よくよく考えをめぐらせて、後日、六波羅(京都にある平氏一門の居住地)を攻めるのがよいのでは」との慎重論が出始めるのだ。六波羅に今すぐ夜討ちをかけるべしとの強硬論もあったが、議論ばかりが横行し、なかなか決断を下すことができない。

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