100年前「禁酒法」施行の米国で何が起こったか 結果としては歴史に残る「ざる法」だった

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禁酒法がウイスキー産業に与えた影響を解説します(写真:boomeart/PIXTA)
3度目の緊急事態宣言に伴い、飲食店への休業要請や酒類を提供しないよう要請がでたことで、ネットを中心に「禁酒法」という言葉が飛び交いました。では1920年から1933年までアメリカで続いた禁酒法は、どんな規制だったのでしょうか。新著『人生を豊かにしたい人のためのウイスキー』を上梓した土屋守氏が解説します。
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独立戦争以前からアルコールに根強い反発

19世紀の半ばからアメリカでの知名度が高まったウイスキーは、南北戦争を挟んで、ケンタッキー州、テネシー州、イリノイ州などを中心に蒸留所が多数開設され、産業としての発展を遂げました。

ですが、ウイスキー産業の発展を誰もがよろこんでいたわけではありません。イングランドから北アメリカにいち早く入植し、禁欲や勤勉を尊ぶピューリタン(清教徒)の影響が強かったアメリカでは、アメリカ独立戦争以前からアルコールに対する根強い反発がありました。

さらに、バーボンウイスキーをはじめとするアルコール飲料が広がりを見せるにしたがい、「飲酒のせいで健康被害や治安悪化・暴力事件が増えている」という批判が増加します。

そこへ、アルコールの過剰摂取が家庭生活にも支障を来すと訴える婦人活動や、第1次世界大戦下での節約志向、ビール業界を支配していたドイツ系移民への反発なども相まって(第1次世界大戦でドイツはアメリカの敵対国でした)、禁酒運動は各地で高まりを見せていきます。禁酒運動の一部は過激化し、女性活動家のキャリー・ネイションが手斧で酒場を破壊してまわったエピソードはとくに有名です。

結果として、アメリカでは20世紀初頭までに18の州で禁酒法が実施され、1917年にはアメリカ合衆国憲法修正第18条(全国禁酒法)が上下院を通過します。全国禁酒法の施行には、全48州(当時)のうち4分の3となる36州の批准が必要でした。

当初は多くの人々が「批准する州が4分の3を超えることはないだろう」と高をくくっていたようです。しかし、推進派は禁酒法を「人類史上初の高貴なる実験」と称え、これに賛同する人々が続出。結局、36州が批准して成立してしまいます。そして、1919年1月から1年間の猶予期間を経て、1920年1月17日から全国禁酒法が施行されたのです。

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