三陸鉄道はなぜ「復興のシンボル」になったのか 記者が振り返る震災から完全復活までの10年間

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瓦礫の中を走る三陸鉄道の「復興支援列車」=2011年3月29日(記者撮影)
2011年3月11日に東日本大震災が発生してからもうすぐ10年を迎えます。当時の三陸被災地取材の様子やその後の復興の道のりを記者が振り返ります。
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東日本大震災が発生したのは金曜日の午後だった。週明けの3月14日、3月から4月にかけて予定されていた『週刊東洋経済』の特集テーマをすべて震災関連の内容に差し替えることになった。私は当時、週刊東洋経済編集部に所属しており、年1回の鉄道特集のほか、さまざまな特集に携わってきた。例年この時期は日本経済の基礎知識、財務諸表の読み方、営業ノウハウといった新入社員向けの特集を行うことが多いが、日本経済に及ぼす影響、福島原発問題など、すべて震災に絡んだ内容に差し替えられた。

私のチームが準備してた特集テーマも鉄道に変えられないかと編集長から打診された。東北の各地を走る鉄道はあちこちで寸断されていたが、死者・行方不明者1万8000人という惨状の前に鉄道の被害状況が大きく報道されることはなかった。鉄道にフォーカスした特集は「あり」だと思った。

鉄道復旧の実情を伝えたい

ただ、通常の特集と比べると社内記者が取材を行うだけの十分な時間がない。そのため、社外のジャーナリストとの連携がいつも以上に重要だった。土屋武之氏、梅原淳氏、鈴木文彦氏、冷泉彰彦氏といった鉄道や交通に深い知見を持つジャーナリスト諸氏にすぐに連絡を取り、鉄道復旧に伴う法制度や代替交通の必要性などについて寄稿いただけることになった。

社内の取材チームは手分けして、JR名松線、JR可部線、高千穂鉄道の状況を知るべく現地に向かった。高千穂鉄道は2005年の台風で被災し、運転が再開できないまま2008年に全面廃止となった。名松線・家城―伊勢奥津間は、2009年の台風で被災したが、廃止意向のJR東海と三重県・沿線自治体が何度も話し合いを続けて復旧する方針が決まった(2016年に復活)。そして、可部線・可部―三段峡間はJR西日本が2003年に廃止したにもかかわらず住民たちの後押しで2011年2月に一部区間の復旧方針が決まったという全国初の事例である(2017年に可部―あき亀山間が開業)。

廃線と復活。なぜ被災路線の運命は分かれたのか。当事者の声を伝えることで、東北の被災路線の復旧計画を考える際の一助になればと考えた。

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