いっさい飾りがなく、今こんなことを考えてて、このプロジェクトに熱中しているの、と何時間でも同じテンションでしゃべり続ける。取材前には「どんな質問をあなたはしたいの?」と直接メールでガンガン聞いてくる。インタビューは2時間が5時間になる。
若い一介のインタビュアーに対し、高みから、話してあげる・教えてあげるというのではなく、同じ目線で一緒に考えようみたいなマインドなんです。僕のちょっとした一言に「今それが若い人にウケてるの?」って食いついてきて、それに対して私はこう思う、と真剣に惜しげもなくエナジーを注いでくる。
時代をサバイブするヒントが石岡瑛子にはある
──今、その石岡さんを世の中に再提示しようとしたわけは?
瑛子さんが一石を投じる存在だと確信したから。石岡瑛子という生き方と彼女の仕事は、時代に対する批評的な存在。今の状態で本当にいいのか、と考えさせてくれる存在です。SNSが爆発的に普及して、みんなが緩くつながり和気あいあい。何となく流れでやっていくのが平和でいいよね、みたいな時代です。
それは瑛子さん的な、人と人とが熱くぶつかる中から、とんでもない見たこともない作品を生み出すやり方とは完全に異なる。そこへキラキラ輝くめちゃくちゃ硬質の宝石を投げ込んでも、絶対届かないだろうなとは思ったけど、変化の時代をサバイブするヒントが石岡瑛子にあるのではないか、と確信するのです。
──彼女が仕掛けた一連の広告は、当時子どもの目にも鮮烈でした。
あれは戦後の広告の極致でした。たとえば「あゝ原点。」というシリーズ。最先端のファッションを売るパルコという企業と、インド奥地の集落で、脇に赤ん坊を転がして真っ赤に焼けた鉄を打つ女たちに、本来接点はない。彼女は1カ月待機して村の長老たちを説き伏せ撮影した。
それも当時新進気鋭の写真家・藤原新也を起用し、ファッションの原点とは何か、日本人に問いかけました。アートとしてでなく、企業の声に変換してギリギリを攻めた。そしてそのメッセージは世の中に響きました。
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