韓国の巨星墜つ、サムスン李健煕会長の功罪 日本との関係土台に世界へ。一族支配に変化も

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李健煕(イ・ゴンヒ)サムスン電子会長。サムスングループを世界企業に育て上げた(写真:ロイター)

韓国・サムスングループの李健煕(イ・ゴンヒ)サムスン電子会長が10月25日、ソウル市内の病院で亡くなった。享年78。2014年に心筋梗塞で自宅で倒れてから入院生活を続けていた。グループの経営は李氏の長男である李在鎔(イ・ジェヨン)・サムスン電子副会長が行っており、死去による経営への影響は当面ないと見られる。

李氏は1942年、韓国南部・大邱(テグ)市生まれ。日本の中学校を卒業し、大学も早稲田大学を卒業するなど日本通として知られ、ビジネス上でも日本との人脈が広い人物だった。1987年にサムスングループ創業者の故・李秉喆(イ・ビョンチョル)会長が死去すると経営を引き継ぎ、2014年に入院するまでの27年間で半導体やスマートフォンなどの分野において、韓国を代表する世界企業にまで成長させた。27年間でサムスングループの売上高を約40倍、利益は約50倍にまで増やした。

李氏の経営は「管理」「スピード」「人材重視」といった言葉で象徴される。量よりも品質を追求し、将来有望な分野に目をつけ、果敢に投資する先見の明を持っていた。優秀な人材を率先して雇用し、トップダウンの経営手法で現在のサムスングループの繁栄を築いたという評価だ。李氏が経営を引き継いだ当時の韓国企業では、質より量を重視し、他国よりも安価な製品を作り輸出して稼ぐという経営が大半を占めていた。そうした中で、李氏の経営は異質に見られていた。

日本にも留学、太い人脈が成長の一因

李氏は特に日本との関係が強かった。日本をベンチマークとして自社の経営に生かしたという点は注目される。住友商事で長年、韓国ビジネスにかかわってきた藤田徹氏は、「韓国の財閥創業者は日本の植民地時代に育った日本語世代で、日本語の能力ではネイティブ並みだったが、李氏のような2代目でそこまで日本との関係が強い人は少なかった」と指摘する。

李氏が病床に就くまで頻繁に日本を訪れ、日本での人脈を生かして経営の参考にしていたことは、日本の経済界では有名な話だ。サムスンはテレビメーカーとして消費者に知られるようになったが、それはかつての三洋電機やNECとの提携によりそのノウハウを学んだことが大きかった。それ以降も、何かと日本企業との縁は強かった。それは現在、グループの中核事業となった半導体事業でも続いている。

一方で、負の遺産もあった。不透明な企業支配構造、韓国政界との癒着といった問題である。

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