「パインアメ」圧倒的に愛され続ける定番の裏側 原点忘れず常に変化を遂げ国民的商品に育った

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「パインアメ」はさまざまな派生・コラボ商品に展開されている(写真:NHK大阪拠点放送局)
UHA味覚糖やノーベル製菓など飴(アメ)の専業メーカーが集まる大阪では、アメを「アメちゃん」と呼ぶ文化があり、庶民に親しまれている。そんな大阪を起点として全国に展開するアメ専業メーカーの1社が、大阪市天王寺区に本社を構える「パイン」だ。昭和23(1948)年創業。社名にも冠するほどの主力商品であるパイナップル味の「パインアメ」のほか、「あわだま」「どんぐりガム」など多くのリピーターを持つロングセラー商品を抱えている。
NHK大阪拠点放送局が制作する「ルソンの壺」は、8月23日の最新放送回(関西地域で7時45分〜8時25分放送)において「定番を磨く」というテーマで、パインと理容室のギークマン(大阪市中央区)の2社を取り上げた。そのうち、経済ジャーナリストの三神万里子氏と狩野史長アナウンサーが、パインの上田豊社長に聞いたインタビューを、番組本編に収まりきれなかった部分も含めてお届けする。

定番商品を現状維持させない覚悟

狩野史長(以下、狩野):企業にとって“定番”とはどのような意味を持つのでしょうか。

三神万里子(以下、三神):「企業の顔であり、どんな時代でも売れ続ける」。それが定番商品ですが、狙ってできることではなく最初から定番だったわけではありません。

狩野:上田社長、パインアメはどういった経緯で定番になったのでしょうか。

上田豊(以下、上田):戦後、物のない時代から少しずつ復興してきた昭和26(1951)年にパインアメは誕生しました。私は現在70歳ですが先代の父が創業した会社に26歳で入社し、41歳で会社を引き継ぎました。パインアメを考え出したのは先代です。戦争から戻ってきて何もない時代に目についたのが“デルモンテのパイン缶”でした。その気づきから作り始めたそうです。

パインの上田豊社長(写真:NHK大阪拠点放送局)

ここまで続いているのは、原点の「シンプル・イズ・ベスト」だと思います。単純な物ほどパンチがあり、非常にわかりやすい。

三神:定番の基本的な要素は単純、シンプルであるということですね。

上田:私が社長になった頃、パインアメは他の商品と違い、売り上げに大きな波がないことに気が付きました。新商品の場合、一気に売り上げが伸びても、落ちるときはストンと落ちてしまいます。過去に商品別の売り上げで1位になったことのある商品でも、最終的には「パインアメ」より下位になることもしばしばあります。

長く続く商品というのは、心の安らぎを感じさせる力があり、パインアメには、まさにその要素があります。一定以下には落ちないということは、工夫次第では伸びる可能性があると考え、改善しようと発想を転換してみたのです。

それ以来、果汁を加えるなど商品の良さは残しつつ、今でも少しずつマイナーチェンジを繰り返しています。販路を広げるような策も執ってきました。

狩野:大きさを少しずつ変えてきたという歴史もあるんですね。

大きさを少しずつ変えてきた(写真:NHK大阪拠点放送局)

上田:創業時は1個10グラムでした。甘いものがとにかくたくさん欲しいということで、できるだけ大きいほうがよかったんです。その後、昭和30(1955)年代にはスーパーが誕生し、そこに向けた商品としてパッケージ化するために袋に入れやすい大きさに変える必要が出てきました。昭和50(1975)年頃には1個7グラムに、さらに、カロリーを気にする女性のために、舌の上に乗るほどの食べやすい大きさに進化し、現在では1個4.8グラムまで小さくなりました。

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