STEAMは教科ではなく、マインドセット

日本人女性初の国際数学オリンピック金メダリストであり、プロのジャズピアニストとしても知られている中島さち子氏。今ではSTEAM教育家としてワークショップや講演などで精力的に活動し、2025年大阪・関西万博のテーマ事業プロデューサーの1人にも選ばれている。STEAM教育の申し子とも呼ぶべき彼女の話からは、STEAM教育の重要性が浮かび上がってくる。

「海外ではSTEAM教育を『研究者のように考え、アーティストのようにつくる』と表現することが多いんですが、そんなに難しいことではありません。教科書や模範解答が用意されていない一般社会の中で、自分で問いやプロジェクトを立ててそれを解決していく。その解決に向かうプロセスの中で、勉強のための勉強をするのではなく、ワクワク感を持って取り組みながら学ぶということです。STEAM『教育』とは言いますが、STEAMという各教科を学ぶというより、学びの姿勢やマインドセットを伝えることに近いかもしれません」

steAm代表取締役CEO 中島さち子
幼少期からピアノに親しむも、14歳の頃に一度音楽からは離れ、数学に没頭する。1996年国際数学オリンピックインド大会で日本人女性初の金メダルを獲得。その後、東京大学理学部にて数学を学ぶ一方ジャズに出合い、再び音楽の道へ。
(撮影:梅谷秀司)

中島氏が委員を務める経済産業省の「『未来の教室』とEdTech研究会」が取りまとめた提言でも、学びのSTEAM化のことを「一人ひとり違うワクワクを核に、『知る』と『創る』が循環する、文理融合の学び」と表現している。つまり、研究者のような探求やアーティストのような創造のための一連の「プロジェクト型学習」がSTEAM教育の神髄ということになろう。これは、前編でNPO法人CANVASの理事長石戸奈々子氏が、プログラミング教育は「プロセスに学びがある」と指摘していたことと重なる。ではこのプロジェクト型学習のポイントはどこにあるのか。

一般論として、プロジェクトを通して、リーダーシップやフォロワーシップ、コミュニケーション能力を伸ばせるといわれるが、中島氏は「失敗」や「つまずき」のプロセスを可視化できることのメリットが何より大きいという。

「プロジェクトの面白さは、結果よりも過程にあります。ドキュメンタリー番組でもそうですが、失敗やつまずきをどのように克服したかがやはり面白いですし、伝わってくるものも多いです。見ている周囲にとっては同じ失敗を繰り返さないように役立てることもでき、それは社会の共有知にもなります。私は最近まで米ニューヨークに留学していましたが、そこでもSTEAMはドキュメンテーション(伝達するための記録)が非常に重要だと繰り返し指導されました」

PCトラブルがあったとき、インターネット検索をして同じトラブルに遭った人の解決談を参考にするのは誰しも経験したことがあるはず。それだけではない。そうやって自らの「記録」を意識的に残していけば、個人のポートフォリオにすることもできる。

「これらの記録はその人の能力や人柄を伝えることが可能ですし、実際にアメリカでは人材を判断するときの参考にする企業もあります。形式張ったレジュメを見るよりも、そこから得られる情報量が多いですから」(中島氏)

STEAM教育とセットになるジェンダーセッション

では、教員は、プロジェクト型学習の指導でどのようなことに気をつけるべきなのか。例えばアメリカでは、どのように子どもたちに接しているのか。

「ニューヨークで最も印象的だったのは、子どもと大人が対等に議論をしていたことです。子どもは違うと感じたことをストレートに口にしますし、大人である教員も議論では生徒を子ども扱いしません。もし、子どもが違和感を覚えたのに何も発言しないと、教員が『なぜ何も言わないのか。そういうときはきちんと考えを述べなさい』と指導するんです」(中島氏)

意見や発言を求めるのは、言葉遣いこそ変わるが、小学校前の保育時からだという。もはや文化といっていいだろう。何年もの積み重ねがあるからこそ、子どもが成長するにつれて「なぜそういう発言に至ったのか」「そもそもこの情報は正確だろうか」などのような、より高度な「問い」を自ら立てられるようになる。徹底して「問いを問い直す」スタンスを大切にしているのが、アメリカのSTEAM教育のスタンダードなのだという。

「さらに言えば、アメリカでは多様性を認める視点も大切にされているため、STEAM教育では必ずジェンダーに関するセッションが行われます。なぜなら、多様性が担保されなければいろいろな角度からの議論が成り立たないからです。それぞれの多様な背景やカルチャーを理解することで、お互いを許容する心が生まれますし、課題の本質を見つめることもできるようになります」(中島氏)

日本の学校ではまだ考えにくいかもしれないが、これがSTEAM先進国の現実だ。

すべての質問に答えられる必要はない

こうして海外と比較すると、どうしても日本の対応の遅れが目立つ。しかも、STEAM教育にしっかりと取り組まないと、学習到達度という目に見える指標だけでなく、「非認知能力」に差がついてしまう可能性がある。「非認知能力」とはIQや学力テストで測ることのできる「認知能力」ではない意欲や協調性、創造性、コミュニケーション能力などのこと。「非認知能力がSTEAM教育とも密接に関係しているというのは、世界的にも共通の認識と思います」(中島氏)。

では現場の先生たちはSTEAM教育をどう捉えればいいのか。まずは、「教える」ことの意義に変化が起きていると認識すべきだろう。

「これまでは、知識を暗記することに評価の力点が置かれていましたが、情報化社会となった今、頭の中に知識を蓄える価値は相対的に低くなりました。なぜなら、インターネット検索をすればすぐに必要な知識が得られるからです」

左から、石戸氏、利根川氏、中島氏。3人の話をまとめると、日本のSTEAM教育は世界水準から遅れているものの、まだ挽回可能ということになる。なぜなら現場の先生たちが優秀だからだ
(撮影:梅谷秀司、今井康一)

そう指摘するのは、石戸氏。もはや、教壇の上から教員が知識を与える時代ではなく、子どもたち自身が興味ある課題に取り組んでいく中で、成長を促していく時代だという。そして、中島氏は今後、先生の役割はこれまで以上に変化していくと指摘する。

「STEAM教育などのプロジェクト型学習では、先生にとっては自分の専門外の領域と接続されることになりますから、聞かれても答えられないことが出てくるでしょう。それでもまったく問題はありません。先生たちは思考モデルや調べ方、社会との接続の場などを準備しむしろ教えすぎず、ある程度子どもたちに自由に悪戦苦闘させるのがよいと考えています」

そうすることで、子どもたちが主体的に考え、課題を解決する能力が身に付くからだ。この能力は「未来を生き抜く力」とも言い換えられるかもしれない。

「これから教育を受ける子どもたちは、2100年まで生きていくんです」と語るのは前編で登場したNPO法人みんなのコードの利根川裕太氏。その頃には、今では想像もできないほど社会全体が変化を遂げているのは確実であり、そのときに必要とされる力を今予想することは不可能だ。だからこそ、プログラミング教育を含めたSTEAM教育で、未来を生き抜く力を育んでいくことが求められている。

(注記のない写真はiStock)