日本は過去「海外発の感染症」にどう対応したか

人類は未知なる病と繰り返し戦い続けてきた

まだ、古典とは呼べないが、日本史を病からえぐり取った、酒井シヅさんの傑作『病が語る日本史』がある。これは過去を知るためにも、あるいは、過去から教訓を引き出すためにも読むべき書籍といえるだろう。

日本は島国で、多くの感染症は海外からやってきた。それは鎖国の時代も例外ではなかった。江戸時代の1730年にインフルエンザが大流行した。これは唯一の貿易地であった長崎から全日本に伝播したものだった。さらに三年後に「風病」(脳卒中と思われる当時の言葉)が流行するが、街中はひどいありさまだった。

江戸の町では夏の1カ月で死者8万人を数え、大混乱になった。人々は棺をあつらえる暇もなく、空の酒樽に亡骸を入れて寺院に運んだ。荼毘に付すには数日もかかり、町は死臭に溢れる(P149)

ほどだった。

これはコレラ流行時も同じだった。日本でコレラが初めて観察されたのは1822年。下関で発見された。人々は突然の発病を経験し、嘔吐を重ねて数日で死んでいった。このあたりの広がりが、あまりに現代にも通じるようで恐ろしくもある。

誰もコレラについてはまったく知らなかった。(中略)コレラは破竹の勢いで、萩からさらに広島、岡山に広がり、さらに兵庫へと、山陽一帯で流行して、大坂で爆発的に流行した。(中略)大坂の流行は、西国から来て、安治川に停泊していた船から発生した(P181)

というのだ。

国家的な問題と認識するのが遅れ、多くの命が失われた

本書は、歴史的な事実を淡々と書き、性風俗から梅毒が広がった経緯や、遊女への検梅制度が外圧によるものだった、等々、読むべきところが多い。ただ、私が興味を惹かれたのは、日本と海外の関係だった。

さきほど、「日本は島国で、多くの感染症は海外からやってきた」と書いた。そして、多くの病の治療法も海外からやってきている。さらに、海外は文化的・学術的・技術的に学ぶべきものが多い。だから、海外へ積極的に出かけていって、それらを摂取するのは意味があった。同時に、病に罹患するリスクもはらむ。

『病が語る日本史』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

本書では結核が、死の病として恐れられ、そして、その死の病と闘う人類に多くの頁が割かれている。日本では明治以降に、多くの留学生が海外の土を踏むことになったが、結核に侵された人たちがたくさんいた。優秀な頭脳も無数に失われていった。

海外から都心に、結核を患った人たちが帰国し、周囲に伝染させる。そして、地方から仕事を求めてやってきた出稼ぎ労働者たちにも伝染して、それを地方に持って帰る。また、行政は、なかなか結核を国家的な問題と認識したがらず、ずるずると国民に蔓延させてしまったところなど、いろいろ考えさせられる。

しかし、そのなかでも、ひときわ印象的なのが次の記述だ。コレラの大流行に際して、オランダ海軍軍医のポンペが『日本滞在五年回想録』で述べているのだが、このコレラの流行はなんと攘夷運動と結びついたのだという。攘夷論とは、海外の勢力を排除する論だ。

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