予言に満ちた小説「ペスト」が示す伝染病の終焉

コロナに翻弄される我々の今を映すようだ

東日本大震災と新型コロナウィルスを比較する向きもあるが、カミュの想像力は恐ろしいほどで、登場人物にこう語らせている。

「まったく、こいつが地震だったらね! がっと揺れ来りゃ、もう話は済んじまう……。死んだ者と生き残った者を勘定して、それで勝負はついちまうんでさ。ところが、この病気の畜生のやり口ときたら、そいつにかかわっていない者でも、胸のなかにそいつをかかえているんだからね」

カミュは、現代を見つめていたようだ。いや、それは正しくなく、人間というものがずっと変わっていないと教えてくれているのかもしれない。

ペストは終わった。新型コロナはどうなるか?

さきに引用した宗教家がどうなるか。これは実際の小説を読んでもらいたい。私も、多くの方がそうであるように、新型コロナウィルスの影響がいつ軽微になるのか、不安を抱いている。

結局、情報番組が語ることは、どこでも一緒で、手洗いとうがいと、人混みを避けることしかない。インフルエンザも、新型コロナウィルスも、罹患するという意味では被害者だが、知らぬ間に自分が加害者になりうる可能性を有している。それがさらに不安を加速させていくのだ。できるだけのことをやっていくしかない。

引っきりなしに自分で警戒していなければ、ちょっとうっかりした瞬間に、ほかのものの顔に息を吹きかけて、病毒をくっつけちまうようなことになる。自然なものというのは、病菌なのだ。そのほかのもの――健康とか無傷とか、なんなら清浄といってもいいが、そういうものは意志の結果で、しかもその意志は決してゆるめてはならないのだ

たゆまぬ市民の注意と、そして、代えがたい犠牲の重なりの中で、ゆっくりと、ゆっくりと、終結の音が聞こえてくる。死亡者は減っていき、安堵の雰囲気が広がる。市民は、鼠が元気に走り回るさまを見つける。しかし、急激に安穏とした空気が広がるわけもなく、不安もじれったいほどの速度でしか払拭されていかない。

そしてついに、街はペスト終結の宣言を行う。

暗い港から、公式の祝賀の最初の花火が上がった。全市は、長いかすかな歓呼をもってそれに答えた

この小説は現代に通じる人間心理を書く。

『ペスト』(新潮社)

災害に襲われながら、それが通りすぎるとなんら教訓を引き出そうとしない「懲りない」人間たちを、突き放すでもなく、諦観するでもなく、ただただ冷静に記述していく。その冷静さが不気味なほどに読むものを恐怖させる。

終結をただただ祝うものたちは、それまでの犠牲をすべて忘れている。死んでいった男女を思い返すこともない。しかし、それが皮肉なことに人間の強みであり、罪のなさであり、人間性なのだ。

さらにこの小説は、単なるハッピーエンドにもしない。街中が歓喜に包まれるかというと、そう単純なものとしても描かれない。終結を祝うものはいる。いっぽうで、大切な人間を失ったもの、なによりも、平和を喪失した人びとの欠落感とともに描かれる。

そして、小説はこのように終わる。

おそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうことを

私たちは新型コロナウィルスが静まったあと、なんらかの教訓を引き出すだろうか。

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コロナ危機の自動車部品メーカーへの影響は、過剰な設備と人員を抱えていた日産系でとくに深刻。比較的堅調だったトヨタ、ホンダ系も無傷ではありません。世界レベルでの技術開発競争は激化の一途で、生き残りへの再編と淘汰が始まろうとしています。