信長が光秀以外の部下にも山ほど裏切られた訳

わざと追い詰めた?1度ならず2度までも

洞察力の鋭い信長。本当に周りが見えていなかったのでしょうか(写真:Brunch/PIXTA)

本能寺の変を起こし、「裏切り者」「三日天下」とネガティブなイメージの強かった明智光秀。一方で、信長の右腕に上り詰めるほど頭脳明晰、そして教養人だったという説もある謎の多い人物です。

不自然なほど資料が残っていない光秀は、本当はどんな人物だったのでしょうか? そして、光秀が「本能寺の変」を起こした真の理由とは何だったのか。

直木賞作家、安部龍太郎さんによる新書『信長の革命と光秀の正義』より、本能寺の変の真相をお届けします。

光秀以前に信長を裏切った武将たち

信長が生きた「大航海時代」と日本の社会状況、そして本能寺の変に至るまでの人々の思惑と人間関係を記してきました。

天皇を超える「太上天皇」になろうとした信長に対して、朝廷と足利幕府の再興を狙った近衛前久。

信長に仕えながらも「忠誠心」を持ち切れず、もともと身を置いていた幕府勢力についた明智光秀。

信長打倒計画を知りながら防ごうとはせず、その計画を利用し、キリシタン勢力と組んで天下を取ろうとした豊臣秀吉。

「幻冬舎plus」(運営:株式会社 幻冬舎)の提供記事です

策略と裏切りに満ちた、「本能寺の変」前夜の日本の空気が浮かんできます。実際、信長ほど家臣に裏切られた人物は珍しいのではないでしょうか。弟の信勝(信行)、若き日の柴田勝家、浅井長政、荒木村重、松永弾正──。信長の人生は、数えきれない裏切りとの闘いだったといってもいいと思います。

その要因として、信長の主張の激しさがあります。

頭がよすぎて、自分の考えについてこれない人間は許せない、分るやつだけ取り立てるというタイプです。しかも相手の感情に無頓着なところがありました。

自分が超合理主義者ですから、感情の機微にうといところがあるのです。

裏切った者たちにも大いに言い分はあるのですが、信長はそれを察することができませんでした。

前久は公家であり、中臣鎌足の流れを汲む名門の生まれです。脈々と続いてきた朝廷と藤原家の関係を壊す、信長「太上天皇」が許せるわけはないのです。

合理主義者信長は天皇制の「非合理性」を甘く見ていました。そして、前久が内心反対していることを感じつつ、なんと前久のライバルに自分の養女を嫁がせてしまう。

将軍足利義昭は信長に奉じられたものの、徐々に自分が「傀儡(かいらい)」だと悟り、信長に反旗を翻しました。

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