「戦争論」をあえてビジネス書として読む効用

ビジネス戦略での防御・集中・天才の本質

さて、私たちは、ここからどのような誤読が可能だろうか。たとえば、これをビジネスへの展開の意味から考えてみる。三位一体は、国民=社員、軍=ビジネス戦略、政府=取締役会と考えてみるとわかりやすい。企業戦略は社員の熱狂的な支持に裏付けされておらねばならず、そこには取締役会の高度な企てが必要だ。

戦争は領土を奪い、ビジネスは消費者の心を奪う

戦争では相手の戦力を破壊し、あるいは領土を奪う。ビジネスはライバル企業と消費者の心を奪い合う。なるほど、クラウゼヴィッツをビジネス戦略の書として読めば、さまざまな発見があるだろう。

その意味で、クラウゼヴィッツが説いた防御と集中と天才も、同様にビジネスに応用されて解釈されてきた。自己のビジネス領域を死守すること。そして、資源を集中すること(これは人員集中や地域集中の意味でさまざまなビジネス戦略を生み出してきた)。さらに教養主義者としてのビジネスリーダーの重要性。

しかし、私はここにニーチェの取り上げられ方のような気味の悪さを感じる。そもそも一般的な倫理を超越した思想を発したのがニーチェだったはずなのに、日本では人生訓とか処世術といった文脈で都合よくニーチェの発言が切り取られる。ニーチェは安っぽいビジネス誌を飾る思想家に成り下がっている。ニーチェ本人がみたら、それこそ吐き気を催すだろう。

クラウゼヴィッツも、その原典を文字通り読むことよりも重大な教訓がないか。もし『戦争論』を読んだ者どうしが闘ったらどうなるかと考えてみるのは面白い。戦略が常識化した際の逆説。

クラウゼヴィッツを、それこそクラウゼヴィッツ的に読むならば、『戦争論』で書かれた戦略や戦術はすべて乗り越えられるべきものとして扱わなければならないのではないか。実際に冒頭で紹介したとおり、クラウゼヴィッツは自説を変え、最後までアップデートにこだわった。

たとえば、防御というが、2010年代に旧来のビジネスモデルを死守しようとした日本製造業はいまどうなっているだろうか。集中といっても、実店舗という資源に集中した小売店はそれがもはや強みではなく弱みになり、ネット企業の攻防にさらされている。

また、天才というが、私たちは1万人に一人の天才さえいれば成り立つ世界に生きているのではないか。とすれば、天才が不在であっても私たちは、勝負に勝てる方法を模索すべきではないか。

あえて『戦争論』は反語として読まなければならない、と極端に振り切ることこそ真にクラウゼヴィッツ的ではないのか。そして、それら超『戦争論』としての教訓は、愚者の直観とも正しいように思われる。その意味でやはり、愚者も賢者も、行動レベルでは変わりがないかもしれない。

私は、有名な研究者が説く正しい読み方は興味がないと書いた。クラウゼヴィッツ的に『戦争論』を読むならば、そのような読み方をすべきだ、としか私には信じることができない。

それにしても、古典を意図的に誤読することは、なんらかのヒントや恣意のきっかけを与えてくれる。古典を読む楽しみは、少なくとも私にとってはそうだ。

正しい解釈にこだわらない読書会

7月11日にクラウゼヴィッツ『戦争論』をとりあげ読書会を実施する。書籍をもってきていただければ大丈夫で、事前にお読みいただく必要はない。

・岩波文庫版「上」のみ持参
・電子書籍ではなく、紙版がふさわしい
・読んでいなくても参加可能
・可能なら第一篇を読む
・さらに可能なら「上」全編を読む

当日は意見交換をしながら、大胆に誤読してビジネス等のヒントを解説していきたい。

少しでもご興味あるかたのご参加を心からお待ちします。

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