30余年で100カ国超「世界の車窓から」誕生秘話 平成の代表的な番組はいかにして生まれたか

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テレビ画面には決して映ることはない、平成を代表する人気番組制作の裏側を紹介(写真:8x10/PIXTA)  
テレビが成長しピークに達したあと、曲がり角を迎えた平成の30年間。テレビはどのように変わったのか――。記憶に残る番組を手がけた制作者に会い、なぜ視聴者の心に響いたかを尋ねた。その手法はそれぞれに違っていたが、時代の移り変わりを意識しながら独自の確信を持って番組づくりに取り組んでいた。繰り返される革新、実験を重ねた末の発見、覚悟を決めたうえでの判断……。画面には映らない過程にこそ、成功の秘訣があった。ドラマ、バラエティ、ニュース、ドキュメンタリーからスポーツまで幅広いジャンルの代表的な番組を通して、時代の変遷をひもといた『テレビが映し出した平成という時代』の内容を一部抜粋し再構成のうえお届けする。

平成の時代に変わったテレビ

テレビが持つメディアの力が、数字として示されたのが平成の初期でもあった。1975(昭和50)年に広告費の媒体別構成比で、テレビは新聞を抜いて首位となった。その後、差は拡大し、1980年代後半のバブル期にはより顕著になる。1980年度に8687億円だった民放のテレビ収入は、1990年度には1兆8024億円と2倍以上にも成長した。

バブル経済が崩壊した1992年度と1993年度は2年連続で民放のテレビ収入は前年を下回った。地上波民放の営業収入が最も多かったのは、2006年度の2兆3702億円だった(電通メディアイノベーションラボ編『情報メディア白書』)。以後、この数字を上回ることはなく、2017年度は2兆1710億円だった。

テレビ全体がどれくらい見られているかを示す「総世帯視聴率」(6~24時、関東地区、ビデオリサーチ調べ)では、頂点はさらに早い時期だった。ほぼ右肩上がりだったが、1993年の47.0%(8時間28分)でピークを迎える。ライフスタイルの変化などの影響と見られた。

その後はゆるやかに減り、前年から1.2ポイント下がった2010年以降は42%を切り、「テレビ離れ」とも言われるようになった。2017年の総世帯視聴率は40.8%だった。

破竹の勢いだったテレビにブレーキをかけた存在としてインターネットがあるのは間違いない。2005年には、ネット企業のライブドアがフジテレビの親会社であるラジオ局のニッポン放送の過半数の株式取得に乗り出した。注目を集めた「放送と通信の融合」は10年余り経って、日常的な光景になりつつある。

広告収入の面でも、インターネットの追い上げは急だ。2020年にはテレビを逆転するのでは、という観測が出ている。まさに転換期にある。

テレビが成長しピークに達したあと、曲がり角を迎えた平成の30年間を、代表的な番組を通して見ることで、時代の変遷を描けるのではないか。ここでは『世界の車窓から』を紹介する。

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