美術モデル「セクハラ訴訟」に感じるモヤモヤ

「環境型セクハラ」で思い出したある弁護士

「環境型セクハラ」と聞くと、キャサリン・マッキノンという、私の中では史上最強のフェミニストを思い出す。マッキノンというのは弁護士で、ほぼたった一人でセクハラの法理論を作りあげてしまった。恐ろしく頭がいい。超然としている。美人でもある(美人とか言ったら殺されそうだから誰も言ったことないだろうと想像する)。

セクハラ問題は、1970年代とか1980年代には、性的な要求を突っ返したがためにクビになったり、給料を減らされたりするという、もうまさにど真ん中な「対価型セクハラ」がまず攻撃された。けれど、そこまでいかなくても、職場での性的な言動に困っている女性が多かったがために、彼女たちを救うためにできたそれ以外のカテゴリーが「環境型セクハラ」である。

明確な境界があるわけではないので、最近は「対価型」と「環境型」に分けることはあまりしない。だから、あえて今この言葉を使われると、この分類を最初に練り上げたマッキノンを思い出してしまう。

そして、マッキノンとセクハラという二つの言葉が並ぶと、やばい感じしかしない。間違いなく天才であるこの人が作りあげた理論はある意味完成されていて、反論すれば反論するほどドツボにはまることになっている。アリジゴク理論である。

マッキノンの言う環境型セクハラの議論を貫くのならば、会田誠作品の芸術性はもはやどうでもいいということになる。訴えた大原さん自身は、会田誠作品の芸術性は争うつもりはないらしい。

「会田誠氏のパフォーマンスが、エログロとかいう彼の作風と同じように既存の枠組みを打ち壊したいという芸術だとしても、そんなことはどうでもいいの。それが芸術的に高度なものでも稚拙でも問わないの。女性を性の対象として残酷に扱って、それをアートとして賛美するなんて価値観は絶対間違っている。会田氏のパフォーマンスは、女性の尊厳を傷つけていい、貶めてもいいという発想を世の中に垂れ流すことになる。そのパフォーマンス自体が許しがたい」

これに反論するなら、「それを好む人もいるんでしょ、好む人に向けてのパフォーマンスだったんでしょ」と言うしかない。「職場の研修とか大学の講義とか、選択の余地がない強制じゃなくて自分で選んで行くものなんでしょ? 会田誠さんのこの日の講義は、彼の言うところの『平常運転』だったらしいじゃない? 会田誠作品が好きで、直接講義を聴いてみたいって人が集まっているという前提で大学側も用意し、会田氏もそれに乗ったんじゃない? それが嫌なら、そもそも行かないとか、黙って席を立つっていう選択肢はなかったのかな?」とかなんとかごにょごにょ言うしかない。

次ページそうすると、マッキノン理論では…
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