哲学が「体育会系」の学問だと確信できる理由

知識取得ではなく自らの感覚変化こそ重要

最近は、学校だけでなく、セミナーやワークショップ、地域コミュニティなどで、社会人、主婦、教員など、一般の人たちの前でも哲学の話をすることが増えたが、そのさいもこの二つの定義、「問い、考え、語ること」「分からないことを増やすこと」が、いちばん納得してもらえる。

さて、このような「問い、考え、語ること」という意味での哲学もまた、一般の哲学と同様、自問自答しながら「自己との対話」を通して一人で行うこともできる。だが、それはしばしば、孤独でつらい作業である。そういうことが好きだという、いわゆる哲学者気質の人種もいる。沈思黙考、物思いにふけるのに快感を覚える、そうせずにはいられない〝思考中毒〞の人間もいる。

とはいえ、そんなのは少数派の変人である。むしろ多くの人にとって、一人で考えるのは、面倒くさいことだろう。自分に語りかけていても、途中で行き詰まり、堂々巡りするだけで埒(らち)が明かない。退屈だ。だからやる気になれない。考えるなんて嫌いだ。

ところが、他の人といっしょにやると、考えるのは楽しい。他の人と話し、語りかけ、応答してもらえればうれしい。嫌にならずに続けられる。しかもそうすれば、思考はより深く、豊かになる。だからそのような「考える体験」としての哲学は、他者との「対話」という形をとる。つまり哲学とは、「問い、考え、語り、聞くこと」なのである。

哲学は体で感じるしかない、体育会系の学問だ

私はいつのころからか、自分がものを考えている時の身体感覚に敏感になった。思考が深まる時、広がる時、行き詰まる時、それぞれ特有の感覚がある。こっちに行ったほうがいいとか、この方向で考えても仕方ないとかいう予感まで何となく体で感じる。

以来私は、哲学は体育会系の学問だと思っている。すなわち、知的というより、身体的な活動であって、何をもって「哲学的」と言うのかは、スポーツと同じで、実際に自分で経験してみて、体で感じるしかないのだ。哲学対話をやるようになって、その確信はいっそう強まった。

哲学対話においては、他の人との位置関係、机の有無、相手との距離、さらには、自分や他の人の姿勢、息づかい、眼差し、表情も思考の質と連動している。だから、対話が哲学的になった瞬間は、感覚的に分かる。全身がざわつく感じ、ふっと体が軽くなった感じ、床が抜けて宙に浮いたような感覚、目の前が一瞬開けて体がのびやかになる解放感、などなど。

人によっても違うし、深まったのか広がったのか、思考の質的な違いもあるだろう。ずっしり重く感じる人もいれば、モヤモヤしたある種の不快感を覚える人もいるだろう。だがそれでも、どこかに気持ちよさがある。人それぞれかもしれないが、哲学対話には、やはり普段は味わえない特殊な感覚があるように思う。

次ページ〝哲学的感覚〞を経験するのに、哲学の知識は必要ない
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