西武・松井稼頭央が回顧する現役時代の記憶 礒部公一&松井稼頭央プロ野球対談:前編

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11月中旬に埼玉西武ライオンズの二軍球場を訪れた筆者(左)と松井稼頭央二軍監督(撮影:風間仁一郎)
2018年シーズンで現役引退を表明した埼玉西武ライオンズの松井稼頭央選手。これからはライオンズの二軍監督としての新しいキャリアをスタートしています。現役時代だけでなく、楽天イーグルスでコーチと選手としての関係が深かったプロ野球解説者の礒部公一さんが、埼玉県所沢市の西武第二球場を訪れ、対談を行いました。前編である本稿は松井選手の現役時代を振り返ります。

 

礒部公一(以下、礒部):まずは、今シーズンでの現役引退ほんとうにお疲れ様でした。そしてライオンズの二軍監督就任おめでとう。現役生活は何年やったかな?

松井稼頭央(以下、松井):25年やりました。高校卒業後に入って、あっという間ですね。

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これから先、現役引退後のほうが頭も使うし、若い選手にどんどん教えていかなければいけない立場になります。現役時代の苦労が今後に活きたらいいなと思います。

礒部:俺と稼頭央が最初に出会ったのは、1990年代後半のパ・リーグの近鉄と西武っていう相手チームでやっていた時だよね。稼頭央はトリプルスリー(打率三割・30本塁打・30盗塁)ができる日本でも数少ない選手だし、両打ちのスイッチヒッターとしても目を見張るものがあった。

年齢で言えば後輩だけれども、いいプレーをたくさん見させてもらったね。

今でも、ドツキ合いの試合が思い出される

松井:現役生活は、ほんとうに楽しかったです。それこそ、近鉄と西武時代は試合がドツキ合いだったので。両チームとも点取り合戦で、それがあの頃の僕らの野球の醍醐味でした。

礒部:試合は確実に点取りゲームになったよね。当時の西武投手陣をみれば、自分のチームのピッチャーと対戦することがなかったから、後ろで守っていて楽だったでしょ。

松井:石井貴さんや松坂大輔、それ以外もいいピッチャーが多かったです。一試合一試合、チームとしても最少失点でできたんで。

第二球場でも話した筆者(右)と松井稼頭央二軍監督(撮影:風間仁一郎)

礒部:いちばん印象があるのは2001年。近鉄と西武はダイエー(現・福岡ソフトバンクホークス)と三つ巴になって、ダイエーがちょっと落ちてくれて西武と一騎打ちとなったペナントレースだね。あの時、西武ドーム3連戦で3連敗を食らいました。

3連敗を食らって0.5ゲーム差になったあと、大阪ドームで近鉄が3タテして、マジック点灯させたんです。  

優勝したからという理由もあるけどその印象がいちばん大きい。その年、打率.320を打っていたんですけどね。

松井:自分もその時は3割で20本以上(24本)ホームランを打ったって記憶しています。投手陣も、追い越せば逃げてくれるという信頼が自然と生まれるくらい後ろがしっかりしていたんで、近鉄とダイエーで打ち合いになりましたね。西武とも打ち合いになったし、西武対ダイエーもほんとうにそんな感じの試合でしたね。

打線は3チームとも互角みたいなものでしたが、破壊力的には近鉄じゃないですか。当時の西武はうまいことつながっていないような感じがあったんで。

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