「こんな夜更けにバナナかよ」に学ぶ頼る力 実在障害者が教えた「堂々と人に頼る生き方」

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車いす生活を送りながらも、大勢のボランティアとともに札幌で自立生活を送った鹿野靖明を、大泉洋(中央)が演じる『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』は、12月28日に全国公開(東洋経済オンライン読者向け試写会への応募はこちら) ©2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会

「どんなに重い障害があっても地域で普通に暮らしたい」。24時間態勢の介護が必要な病を患った鹿野靖明は生涯、そんな思いを抱き続け、命懸けでわがままを言い続けた――。

12月19日(水)に独占試写会を開催します(上記バナーをクリックすると応募画面にジャンプします)

2003年に第25回講談社ノンフィクション賞、2004年に第35回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した、渡辺一史のノンフィクションを映画化した『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』は、車いす生活を送りながらも、大勢のボランティアとともに札幌で自立生活を送った実在の人物を、地元を代表する俳優・大泉洋が演じていることでも話題になっている。高畑充希、三浦春馬といった話題のキャストたちも出演する、笑いと感動のドラマだ。

1959年に札幌に生まれた鹿野は、幼少の頃から、全身の筋肉が徐々に衰えていく難病・筋ジストロフィーを患っていた。18歳の時に車いす生活を余儀なくされ、障害者授産施設(現・就労支援継続施設)に入所。身体の中で動かせるのは首と手だけとなり、他人の介助がなくては生きてはいけなくなった。

だが、障害者が健常者と同じような生活ができるようになるべきだというノーマライゼーションの思想や、アメリカで起きた自立生活運動などに影響された彼は、23歳の時に障害者施設を飛び出して、自立生活を送ることを決意する。そのためには「大勢のボランティアに頼るしかない。それは仕方がない」。それが鹿野の哲学だった。

筋ジストロフィーでも自立生活続ける障害者の実話

当時は、障害者のための在宅福祉制度がほとんどなかったため、自らボランティアを募集し、彼らに介護のやり方を教えながらも約20年にわたって自宅で生活を送ってきた。だが、365日24時間、誰かがそばにいないといけないため、ボランティアのやり繰りも大変だったという。この映画でも「今日、○○が急に来られなくなったから、代わりに泊まりで頼むよ」といった、まるでバイトのシフトを組むようなやり取りがしばしば登場する。

彼らがいなければ、鹿野は生きていけないのだ、という現実がそんなやり取りからも浮かび上がってくる。そしてこの映画は、そんな綱渡りのような日々の中でも、それでもなんとか生活が軌道に乗り始めた鹿野の34歳の頃を描き出している。

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