「都会と別府」2拠点暮らしをする人のリアル
「公私のバランス」はこうやって建て直す

別府駅を降り立つと、そこにたなびくのはいく筋の湯けむり。 観光名所として知られるこの場所を、第二の生活の拠点として選ぶ人がいるという。
今回、別府&NY、別府&東京に暮らす2人に話を伺うことができた。彼女たちはなぜ二地域居住の拠点として、あえて温泉地・別府を選んだのだろうか? 二拠点生活は、定住よりどんなメリットを公私ともにもたらすのだろうか? その魅力などを伺った。
別府&NY。移動距離1万1130kmのデュアルライフ
ヤノユウコさんは現在、NYと大分県・別府を行き来して仕事を回している。パタンナーという仕事で独立して10年。昨年からNYと行き来を始め、その移動距離は片道約1万1130 kmにも及ぶ。「日本の精密なパターンが海外の方では需要があるみたい」と肌で実感したヤノさんは今後も海外に目を向けて仕事の幅を広げていこうと目論み中だ。

服づくりを学びたいと宮崎から上京して、都内のファッション専門学校に通学したのち、大手のアパレルブランドにパタンナーとして就職。当時、ファストファッションの先駆けブランドとして人気を集めていたときに唯一新卒枠で配属され、他の人から見ても羨むような、まさに時代の先端の部署で働くチャンスを得たのだった。
しかし、ファストファッションは通常よりも販売サイクルが早かった。「大量生産、大量廃棄」という方向性と自分の洋服づくりに対しての考えに違いを感じ、良好な職場環境よりも自分の服づくりと生き方を見直そうと2年半で退職。その後、パタンナーとして複数の国内ブランドで修行を積んだのちフリーランスとして独立する。フリーランスは場所や時間にとらわれず、自分のイメージした生活ができる。そう思って選んだ道だったが、いざ独立してみると全然違った現実がヤノさんを待ち受けていた。