「無意味で過剰」な放送が日本にあふれる理由 駅ホームで「京都、京都です」の放送は必要か

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日本にはあらゆるスピーカー音があふれている(写真:萬名 游鯏 / PIXTA)

ここ数回、日本中にあふれる(主に)スピーカーから発せられる注意・警告・感謝・宣伝などの「音」の問題を扱っていますが(17年9月22日配信『日本で「お節介な注意放送」が流れる根本理由』)、「コメント」の中には、まるで的外れな批判や意見が多く、それらに順次丁寧に答えていこうと思います。

まず、エスカレーターの放送が「ある」のは、エスカレーター事故があったときのための設置者側の責任回避(軽減)のため、という意見は完全な間違いです。というのは、私が問題にしているのは、あの「エスカレーターにお乗りの際は、ベルトにつかまり……」という繰り返しのテープ音という手段であり、これを廃止して視覚的な掲示だけでも、(視覚障碍者用にエスカレータの場所を教えるピーン・ポーンという音だけを残せば)必ずしも裁判で負けないだろうからです。

事実、ごくたまにエスカレーター事故がありますが、その多くは、逆走はじめエスカレーターの機能不全のための事故であって、利用者全員が「手すりにつかまらなかった」ための事故など聞いたことがない。

放送を流す「主体」に抗議し、取材してわかったこと

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それにもかかわらず、デパートなどがこの放送を流すのは、もっと「深い」理由があるようです。これは、100以上のエスカレーターの放送を流す「主体」に抗議し取材してわかったことですが、千葉市の某デパートでは、私が抗議すると例外的にこの放送をやめてくれたのですが、数カ月するとまた入っている。そこで総務部長に「なぜか?」と問いただすと、その後エスカレーターで子どもの事故らしきものが起こり(子どもが勝手に遊んでいたのですが)、そのときに保護者がエスカレーターの放送がないことを強く抗議したので、再開したということ。

いいでしょうか? 裁判の問題ではなく、利用者の感情の問題であり、「われわれはたとえ裁判で勝っても、お客が来なくなると困るのです」としみじみと言った彼の言葉が忘れられません。

つまり、われわれの運動が難しいのは、法律レベルの問題ではなく、まさに周囲の他人たちの大部分が、基本的にこの放送を望んでいるという厳しい「現実」に直面するからです。いまやほとんどの駅ホームに流れる「駆け込み乗者はおやめください」という放送も、30年前にはなかったのですが、駆け込み乗車により事故が起こると、当人は、たとえ明らかに自分に責任があるとしても絶対に許さない、という話をある駅長に聞いたことがある。酒を飲んでホームから転落しても駅員たちを攻撃し、かすり傷程度の事故でも、ものすごい剣幕で治療費を要求し……という話も聞きました。

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