明治維新より輝かしい「大政奉還」という偉業 150年前の「慶応維新」は世界史上の奇跡だ

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徳川慶喜が決断した「大政奉還」の再評価が始まっている(写真:近現代PL/アフロ)
いまから150年前、最後の将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に返すと発表した。「大政奉還」である。大政奉還というと、「その場しのぎの決断」というイメージを持たれる方が多いことだろう。何の展望も持たない「愚かな決断」で、結局は旧幕府方の瓦解を止めることができなかったと……。
しかし、最近の反「薩長史観」本ブームのなか、大政奉還は「慶応維新」というべき歴史的な偉業で「明治維新」より優れていた、という主張も見られるようになった。
これはどういうことなのか。このたび『薩長史観の正体』を上梓した武田鏡村氏に解説していただいた。

龍馬も大歓迎した大政奉還

『薩長史観の正体』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

薩摩と長州に討幕の密勅(後述)が下った慶応3(1867)年10月13日、まさにその日、将軍の慶喜は「政権を朝廷にお返しする」と発表した。

この歴史的な決断を待っていたのが、大政奉還を後藤象二郎(土佐藩重役)に提言した坂本龍馬である。

龍馬は、後藤から土佐藩主の山内容堂に奉還論が説かれ、それが幕府と朝廷に建白書として提出されていたことを知っていた。薩長の内情を知る龍馬は、幕府が政権を奉還しなければ、薩長と幕府の日本を二分する流血の戦いが勃発することを恐れていた。

そのため龍馬は、将軍が大政を朝廷に返したことを知るや、体をよじりながら、「これで戦争は起こらぬ。将軍のお心はいかばかりかと察するに余りある。よく決断なされた。私は誓って、この将軍のために一命を捧げん」と感涙した。

翌日の14日、将軍慶喜は大政奉還の上表文を朝廷に提出した。そこには、「政権を朝廷に奉帰(ほうき)して、広く天下の公議を尽して御聖断(ごせいだん)を仰ぎ、万民一致して皇国を興隆し、外国と並び立つこと」という内容が記されている。朝廷はこれを受理した。

これは平和的な絶対権力の移行である。慶応3(1867)年10月14日は、日本の歴史で記憶すべき日である。

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