旧来の枠を超えて革新の現場をつくる
立命館大学
「奈良時代から続く豊饒な文化をより充実させ
次代に引き継ぐことが私たちの役割です」

(1990年法学部卒業)
京料理「木乃婦」三代目
髙橋拓児さんが、三代目として京都の老舗料亭・木乃婦の厨房に入ったのは、27歳の時だった。「まずは、ひたすら調理場の仕事の様子を見つめました。3年間は何も言わずに、ガマンしようと」。立命館大学法学部を卒業し、店を継ぐべく、東京吉兆に修行に入った。5年目には創業者・湯木貞一氏の秘書を務めたという。茶の湯の伝統を再解釈して、現代人にわかりやすい独自の世界を構築した先達から、髙橋さんは多くのことを学んだのだろう。はなむけに贈られた言葉が忘れられない。「吉兆のまねではあきません。あんたの世界観をつくらんとね」。
ほかにはない木乃婦ワールドをつくらなければと、固い決意を胸に秘めて、家業に復帰した。「料理は、伝統だけでは立ち行きません。歴史の上書き保存と言うんでしょうか。伝統の上に現代的なオリジナリティをつける。でも、作家性は不要です。積み上げてきたものに一つだけ足して大きくして、次の人に渡す。名を遺すのではなく、伝統を分厚くする。遠く奈良時代から続く豊饒な文化を、より充実させて次代に引き継ぐのが、私たち料理人の役割です」
さて、木乃婦の厨房はどうなったか。「私なりの世界観を実現するための基礎づくりに10年くらいかかりましたね」と、髙橋さんは振り返る。季節ごとのメニューを書き記すと、二代目の父から二重線で消される。ならばと、上から紙を貼って、料理を記す。そんな衝突もあった。いつしか厨房には、髙橋さんの世界を理解し体現できる人材だけがそろった。70年間、市場に通い続けて素材を吟味してきた初代の祖父から、目利きのコツを教え込まれたことも財産だ。確かな伝統を礎に革新を実現するステージが誕生したのである。
ロジカルな思考で新しい世界観を構築

「大学で学んだことが、今の仕事に大いに役立っています」と、髙橋さんは語る。お客様に極上の時間を楽しんでいただくには、コンセプトづくりが大切だという。そして店づくりや料理提供の仕組みづくり、新メニューの開発など、すべてロジカルに考えるのが髙橋さんの流儀だ。仮説に対して、法や判例を援用して自分なりの解釈を試み実証する。さらに新たな仮説を立てるという方法論が、木乃婦の世界観構築のプロセスに重なるという。「過去の文献や茶懐石、有職料理といった伝統に、新しい食材や調理技術を組み合わせ、現代人の嗜好にマッチした料理をお出しする。評価をいただいて、また新たに構築します」。
海外で腕を振るう機会も多い。大使館等が主催するレセプションのほか、来年のダボス会議でも料理を通じた日本文化発信の重責を担う。「現地の食材を取り入れながら、日本の伝統を楽しく味わっていただくことが大切です」。世界で認知の高まる日本料理の伝統と革新をどう見せるのか。期待は尽きない。