広く浅くより、狭く深く。
そこから一気に世界が広がっていく。
立命館大学
うっかりすると周りが見えなくなることもあるが、逆にそこから新しい視界が広がることもある。
一つのことに集中し、情熱を傾け、努力し、挑戦し続ける。
それもまた豊かな才能といえる。
アフリカの毒にやられて

1995年 大学院国際関係研究科修士課程修了
三井物産戦略研究所国際情報部
中東・アフリカ室 主席研究員
初めてアフリカに行ったのは1991年。大学の探検部の一員としてのことだった。
「バブルで浮足立った日本が嫌で、なんとなく行っただけ。逃避願望があったのでしょう」
だが、逃避した先で白戸圭一さんはアフリカの魅力に取りつかれた。白戸さん自身はそれを「アフリカの毒にやられた」と表現する。
「日本にはもうリアリティがないでしょう、何でもバーチャル化されて。アフリカにはそのリアリティがある。美しい自然がある一方で、悲惨な人間の営みがある。日本のように汚いものを排除しようとはしない。強烈な匂いとか汚さも含んだ美しさ、素晴らしさ、エネルギー。アフリカはどこに行っても熱気を感じます」
だから大学院でも南アフリカ共和国の政治研究を専攻した。アパルトヘイト(人種隔離)政策から転換し、ネルソン・マンデラが大統領に就任した直前には、フィールド調査のためその南アに行った。

「黒人居住区のスラムにも入り込みました。半年間で8回も人が殺される瞬間を目撃しました。次々と予期しないことが起きる混乱のなかでも、やはりエネルギーを感じました」
このときの体験から「現場は面白い」と思うようになり、修士課程修了後は新聞記者の道を選んだ。記者時代には自ら志願してヨハネスブルグ特派員にもなった。
「僕としてはずっとアフリカにかかわっていたかったのですが、新聞記者としてはそうもいかない。そうしたら今の仕事が見つかったので、40代半ばで転職を決意しました。もうアフリカの毒に振り回されっぱなしです」
何歳になっても
学ぶことはある
今は三井物産戦略研究所で、マクロ的な観点でアフリカの政治経済を俯瞰している。
「人口増加の速度が世界で一番速いのがアフリカです。2050年には世界の人口が100億人近くになると予測されていますが、そのときアフリカの人口は25億人に達しています。アフリカ大陸は資本主義社会に残された最後の市場、最後のフロンティア。そこでどうビジネスをやっていけるかということが、長期的に見ると日本の浮沈にも大きくかかわってくるはずです」
しかし、以前よりだいぶ改善されたとはいえ、アフリカの多くの国は治安が悪く、インフラの整備も遅れている。
「ビジネスに限らずアフリカで何事かをなすのは大変なこと。でも、そこで戦えるのが本当のグローバル人材だと思います」
ただ、日本にはまだアフリカに対する偏見があるし、知識も不足している。これから日本にとってアフリカが重要な存在になるということも、ほとんどの日本人は認識していない。そこを突き崩し、アフリカについての正しい知識、情報を広めていくことが「自分のやりたいことだし、やってきたことだし、これからもやっていくことです」と断言する。
「新聞記者から転じてきて、一から勉強しなおしています。人間、何歳になっても学ぶことはあるものです」
アフリカの毒は、強烈だ。