萩野公介を育てた男が語る「指導者の気構え」

謙虚な心を持ち、固定観念をみずから崩せ

水泳を通じてみんなのお手本になる、社会の中でみなさんの役に立っていける人間になってもらいたい。水泳を通じて人間を磨いてもらいたいと思っているのだ。

コーチとして私がオリンピック選手を輩出することができたのは、もしかしたら自分が選手としてはほとんど実績がなかったからかもしれない。大学三年生のときに、奥野が入ってきたときも、不思議と嫉妬は感じなかった。

指導者は謙虚な心をもて

自分でもある程度の成績を残したことがあれば、指導する際にどうしても自分の体験が含まれてしまう。その体験の「負」の部分、こだわりやコンプレックスが、眼鏡を曇らせてしまうことはあり得る。自分の目の前の選手をあるがままに受け入れる「謙虚」さが大切なのだと思う。

東スイの大先輩である青木先生からは、こんな教えも受けた。

「コーチとして選手を指導するときには、まず大胆な仮説を立てろ」

というものである。

選手をこんなふうに育てたいとか、こんな泳ぎをめざしたいとか、まずは仮説を立て、それにはどんな解決すべき課題があるのかを見つける。その上で指導しなければいけないと教えられたのだ。

ともすると、元選手だったという人がコーチになった場合、固定観念ができてしまっていることが多い。たとえばスタートはこうでなければいけない、泳ぎはこうあるべきだ、という先入観で見てしまうのだ。それを判断基準にして選手を見るから、

「なんでこんな泳ぎしかできないのか」

といった不満をもってしまいがちになる。

その固定観念をみずから崩して、新しい仮説を立て、選手を目標に向かって導いていける人は、指導者として大成できるのではないか。だが、そこがなかなか難しいところで、どうしても自分の経験が邪魔をしてしまうケースが多いのだ。

私の場合は、選手時代にも水泳を専門的に教わったことはあまりなかった。スタートはどうやって構えたらいいのか、膝は曲げたほうがいいのか伸ばしたほうがいいのか。自分なりに工夫し、いろいろと考えながら試行錯誤を繰り返していた。幸いにも、私には固定観念がほとんどなかったのだ。

東スイで最初に初心者の指導を担当したことも、私にとってはラッキーなことだった。相手は当然、水泳の初心者だから泳げない。泳げない子に水泳の「イロハの、イ」から教えるのが仕事だ。

パートタイマーのコーチの中には、

「君は、なんでこんなことができないんだ!」

と怒ったりするコーチがいた。

そんなシーンを何度か目の当たりにして、初心者を叱りつけるのは、まさに愚の骨頂だと思った。そもそも泳げないから、教わりに来ているのだ。まずはそのことを前提として教えることこそが大切なのではないか、とつくづく考えさせられた。

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