66歳、「物書き」をトコトン極める男の稼ぎ方 職歴40年、盤石な道よりも刺激を選んだ

✎ 1〜 ✎ 25 ✎ 26 ✎ 27 ✎ 最新
拡大
縮小
矢貫隆(やぬき たかし)さん。肩書は「フリーライター」「交通問題ジャーナリスト」を経て、今は「ノンフィクション作家」としている。ただ、ペン一本で食べていることに変わりはない(筆者撮影)
これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむと古田雄介が神髄を紡ぐ連載の第26回。

食えようが食えまいが、やりたいんだからしょうがない

フリーランスライターやフリージャーナリストという職業は何年続けられるものだろうか?

この連載の一覧はこちら

筆者の周りには10年選手や20年選手がたくさんいるが、自営一貫ペン一本で30年以上食べている人となると相当限られてくる。それより先の領域は霞(かすみ)がかってよく見えない。経済面や健康面、モチベーションの問題を抱えてキャリアを閉じたり、ヘッドハンティングや起業で本業が変わったりと、さまざまな事情から途中で道を違えるケースのほうが圧倒的に多いように感じる。

それでも、濃い霞の先でキャリアを重ねている人はいる。今回お話を伺った矢貫隆さん(66歳)は30歳手前でフリーライターとしての名刺を作り、現在もなお取材と執筆に精を出しているこの道のエキスパートだ。

職歴はまもなく40年。1980年代に交通問題ジャーナリストとして注目を集め、黎明期の救急医療の現場を取材する過程で執筆分野を広げていき、自殺未遂で救命救急センターに運ばれてきた人々や難病に苦しむ子どもたちのルポルタージュでも功績を挙げてきた。

最近も都合3年以上かけてタクシー運転手の潜入取材を敢行し、月刊誌への寄稿や新書の執筆など多くのアウトプットを残している。途中で国際救命救急協会理事を務めたりもしたが、取材記事を主収入にするスタンスはずっと変わらない。

矢貫さんはなぜ、この一本道を歩み続けることができているのか。

天性のものか戦略によるものかといったら、間違いなく前者だという。

「半年後に食べていけているのかって不安で寝られなくなることはよくありましたよ。でも、食えようが食えまいが、これやりたいんだからしょうがないっていう話でね」

現在の拠点の近所だという東京都板橋区の高島平の古びた喫茶店。そこで矢貫さんは記憶を手繰り寄せながら、飄々(ひょうひょう)と半生を語ってくれた。

次ページとにかく目立つのが嫌な子どもだった
関連記事
トピックボードAD
ビジネスの人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
日本の「パワー半導体」に一石投じる新会社の誕生
日本の「パワー半導体」に一石投じる新会社の誕生
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【浪人で人生変わった】30歳から東大受験・浪人で逆転合格!その壮絶半生から得た学び
【浪人で人生変わった】30歳から東大受験・浪人で逆転合格!その壮絶半生から得た学び
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT