キリンが「一番搾り」を刷新、看板商品リニューアルで執念の首位奪還なるか

キリンが「一番搾り」を刷新、看板商品リニューアルで執念の首位奪還なるか

東京都葛飾区亀有。駅前商店街を担当しているキリンの営業ウーマン石井綾子さんは、3店の新たな取引先を獲得した。1店は競合メーカーからの切り替え。新しく開業するもう1店は、他社製品を導入する予定だったが、最後に石井さんが逆転ホームランを放った。

その原動力となったのが、キリンの主力ビール「一番搾り」の大型リニューアルだ。今回のリニューアル、単なる外観やマーケティング、宣伝の刷新ではない。コーンやコメなど副原料を排除し、麦芽100%ビールへと中身を大胆に転換したのだ。

「試飲缶と既存品の樽生ビールを飲み比べていただいたが、新製品を評価してもらえた。生ビールより缶ビールを評価してもらえることなどめったにない」と、石井さんは手応えをつかむ。既存商品で原料まで変える大胆なリニューアルは珍しい。しかも、一番搾りは発売20周年を迎えるキリンの大黒柱である。

陥落した王者 募る焦燥感

麦芽100%ビールといえば、サッポロの「ヱビス」やサントリーの「ザ・プレミアム・モルツ」があるが、どちらも350ミリリットル缶で250円以上のいわゆる高級ビール。それに対しキリンは、新しい一番搾りを40円以上安いレギュラー価格帯に据え置いた。「私たちの攻めの姿勢を買っていただけた」。石井さんは満面の笑みを浮かべる。

ビール市場は90年代半ばをピークに縮小の一途をたどっている。より低価格な発泡酒や第3のビールの登場が主因だが、ワインや焼酎など他の酒類にも押されている。最近では発泡酒、第3のビールも合わせたビール類総市場でも縮小が続いており、2008年度は前年比3%減にまで落ち込んだ。

一番搾りを発売した90年当時、キリンの稼ぎ頭は「ラガー」だった。そこにあえて新商品を出さざるをえなかった背景には、“追われる者”としての危機感があった。

70~80年代にはシェア6割超を誇り、長く王座に君臨していたキリン。その時代に幕を引いたのが、87年、アサヒビールの「スーパードライ」発売だった。スーパードライの爆発的ヒットで、86年にはわずか1割だったアサヒのシェアは、87年には2割を超え業界2位に躍進。一方のキリンは、首位こそ死守したものの、88年にはシェア5割にまで落としている。

この失墜に歯止めをかけるべく投入したのが、一番搾りだった。これが予想を超えるヒットを放つ。どんどん縮まっていた両社のシェア差は平行線で推移するようになり、勢いに乗るアサヒの封じ込め作戦は、ひとまず成功したかのように見えた。

しかし、ここでキリンは決定的なミスを犯す。96年のラガー生ビール化だ。創業時からキリンを支え続けてきた長寿商品ラガー。リニューアルにより特有の苦みがなくなってしまったことで、忠実かつ熱心だったラガーファンは離れていった。

致命的なオウンゴール--。98年にはついに、ビール市場でアサヒとの順位が逆転。01年にはビール、発泡酒を含めた総市場シェアでも2位に転落、その座をアサヒに明け渡してしまう。その後、第3のビール「のどごし〈生〉」の爆発的ヒットでやや持ち直し、07年「ザ・ゴールド」発売で一気に首位奪還を狙うが、結果は惨敗。依然首位アサヒの壁を突き崩せずにいる。

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