ゴルフ世界一「ジョーダン・スピース」物語 7歳のとき遭遇した衝撃的な出来事

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父親はそう振り返る。両親の時間もおカネも愛情も、すべてを弟と妹のために注がせようとすることが、当時のスピース少年にできた家族愛の表現だった。

さまざまな「もらった力」

1人で練習に明け暮れたスピースが不幸だったかと言えば、その正反対だとスピース自身は感じている。実際、彼に手を差し伸べた人々は大勢いた。そんな周囲の助けがあったからこそ、今の自分があるのだとスピースはつねに感謝している。米ツアーで初優勝を挙げたわずか半年後、すぐさまチャリティ基金を創設した背景には「恩返し」の念がある。

米国ではゴルフが庶民のスポーツと見られているが、とはいえ、エリート少年たちが凌ぎを削るジュニアゴルフ界を生き抜くためには、かなりの費用がかかる。

スピース家には、そのための経済的余裕はなかった。だが、AJGA(米国ジュニアゴルフ協会)とその協力財団「ザ・サンダーバード」が未来のプロゴルファーを必死で目指すスピースを12~18歳まで経済的に支え続けた。

そのジュニア時代、心の支えになってくれたのは同い年の親友、ジャスティン・トーマスだった。トーマスはスピースより2年遅れで昨季から米ツアー参戦を開始し、今季開幕シリーズのCIMBクラシックで初優勝を挙げたばかり。トーマスがスピースにもたらしたものは果てしなく大きい。その話は後編で紹介しようと思う。

スピースは学校の授業やゴルフの合間に時間を作っては妹エリーが通う障害児学校へ足を運び、ボランティアをしたり、エリーと遊んだり、送迎をしたり。

「ピュアなエリーと向き合っていると、自分は何のためにゴルフをしているのかをエリーが教えてくれる。そして、どんどん想像力が湧いてくる」

スピースのゴルフの技術力を向上させてくれたのは、12歳から師事してきたスイングコーチのキャメロン・マコーミックだ。

2010年のバイロン・ネルソン選手権に16歳のスピースが推薦出場できたのは地元に強いマコーミックのおかげだった。初めて出場した米ツアーの大会でスピースは緊張と興奮に胸を躍らせた。「こら、ジョーダン!少し落ち着きなさい」とマコーミックが叱っても、「うれしくて、うれしくて……」と夜明け前からウキウキそわそわ。

試合は悪天候でサスペンデッド続きの不規則進行になったが、それでもスピースは見事に予選通過を果たし、一時は優勝も夢ではないと思われるほどの奮闘ぶりで16位フィニッシュ。

「ずっと、あそこでプレーしていたかった……」

スピースがプロ転向を決意したのは、それから2年半後の2012年12月。そのとき彼は18歳の大学生だった。

(後編へ続く)

舩越 園子 在米ゴルフジャーナリスト

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ふなこし そのこ / Sonoko Funakoshi

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。アトランタ、フロリダ、ニューヨークを経て、現在はロサンゼルス在住。
 

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