忘れ物あれこれ(その1)

病気などしていられない人へのお話

 

山崎光夫

 高尾山に出かけて愛用していた茶色の登山帽をなくしてしまった。最寄の駅まではかぶっていたのを覚えているので、駅からの途中、どこかに忘れてしまったようだ。
ところが、その忘れたこと自体に1週間気づかなかった。気づいてから、立ち寄り先を何個所か訪ねてきいてみたが出てこなかった。
帽子1個の紛失だが、何とも寂しい日が数日続いた。帽子への愛惜よりも、忘れ物をした自分に情けなくもあり、また、老化現象も思い知らされた。

山登りの前、じつはキャッシュカードを銀行に置き忘れる体験をしている。
ATMコーナーで現金を引き出した後、どうした訳かカードをそのままにして銀行を出てしまったのである。
こんなとき、何か変に思うもので、財布を確かめてカードが無いので、あわてて行内に戻った。
すると、フロア係りが待っていたように近づいてきて、
「いかがなされましたか」
ときいた。
「カードをお忘れですね」
とは言わない。
本人確認が確実にできないうちは絶対にカードを返さない。
ATMではカードをそのままにして離れると警告音が鳴り響いて注意を促がすシステムになっている。
だが、わたしはこれに気づかなかったのである。
運転免許証と通帳を示して、カードがすぐ手元に戻ったからいいが、そうでなかったなら、口座の閉鎖やカードの再発行、暗証番号の変更など、厄介な手続きになっただろうと思う。冷や汗ものである。
わたしは還暦を越えて数年を経るが、人名が出ないし、地名もすぐに出ないことが多くなっている。二階の部屋に行って何の用事で二階に来たかを忘れることも再々である。
健忘という名のボケ症状が出ている。

以前、新大阪からの帰り、新幹線のキップを失くしたことがある。東京駅で改札を出ようとしてキップを探したがどこにも見あたらないのである。ポケット、カバンはもちろん、本の中まで探したが出てこない。
記憶をたどれば、車内検札があって、そのとき、不用意にキップを窓際の台の上に置いた。しかし、そのまま置き忘れてしまったのである。
それを正直に駅員に話すしかない。
「キップがないときは払ってもらいます」
との駅員の応対。
再び、経過を話す。
黙ってきいていた駅員は、やがて、
「今回だけです。次からは気をつけてください」
と山手線下車用のキップをくれた。
駅員に感謝、感謝である。
しかし、それにしてもなぜ、駅員は許してくれたのだろうか。
新幹線の場合、改札が新幹線専用となっているし、検札も必ずある。不正乗車はできないシステムになっているはずだ。
謎は解けたが、忘れ物が多い対策にはなっていない。反省、反省である。

山崎光夫(やまざき・みつお)
昭和22年福井市生まれ。
早稲田大学卒業。放送作家、雑誌記者を経て、小説家となる。昭和60年『安楽処方箋』で小説現代新人賞を受賞。特に医学・薬学関係分野に造詣が深く、この領域をテーマに作品を発表している。
主な著書として、『ジェンナーの遺言』『日本アレルギー倶楽部』『精神外科医』『ヒポクラテスの暗号』『菌株(ペニシリン)はよみがえる』『メディカル人事室』『東京検死官 』『逆転検死官』『サムライの国』『風雲の人 小説・大隈重信青春譜』『北里柴三郎 雷と呼ばれた男 』『二つの星 横井玉子と佐藤志津』など多数。
エッセイ・ノンフィクションに『元気の達人』『病院が信じられなくなったとき読む本』『赤本の世界 民間療法のバイブル 』『日本の名薬 』『老いてますます楽し 貝原益軒の極意 』ほかがある。平成10年『藪の中の家--芥川自死の謎を解く 』で第17回新田次郎文学賞を受賞。「福井ふるさと大使」も務めている。

 

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