判断は過去の経験則から、決断は未来のために | パーソナルブランディング sponsored by 同志社大学

判断は過去の経験則から、決断は未来のために

二ノ丸友幸
株式会社クボタ コーポレート・コミュニケーション部
ブランド推進室 担当課長

判断は過去の経験則から、決断は未来のために

ブランドコンテンツとは
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日本経済はアベノミクス効果で景気回復や賃金上昇が叫ばれているものの、これから先どうなるかは誰にもわからない。将来の不確実性がより高まっている今、必要なのは自分の人生を見つめ直す新しい視点を得ることである。そのキーワードになるのが、「グローバルな視点とパイオニア精神」である。ビジネス、文化、芸術など様々な分野でボーダレス化が進み、新しい枠組みや取り組みがどんどん現出してきている。多様性・感受性を持ち合わせた人物にとっての好機が到来しているのだ。そこで輝くためにはいかに自分自身を磨き、いわゆる「パーソナルブランディング」を行っていけばいいのか。時代の第一線で活躍する人たちに話を聞いた。


中学1年からラグビーを開始
同志社に憧れた日々

―― ラグビー高校日本代表を経た後、同志社大学に入学されました。

二ノ丸 私は中学1年からラグビーを始めたのですが、そのとき初めて観た大学ラグビーの試合が同志社大学でした。以来、同志社に憧れて、大学は「絶対に同志社大学に行きたい」「紺とグレーのジャージを着たい」と思っていました。それが一つのモチベーションとなって、中高とラグビーに励むことができました。

地元も(東大阪市の)花園ラグビー場の近くだったので、同志社大学の試合があるときは、チームの練習を終えると一目散に帰って、スタンドの一番最前列で観ていたような少年でした。ですから、同志社大学に入学した時は、本当にうれしかったですね。夢が叶ったという感じでした。

――大学在学中に印象に残っているエピソードはありますか。

二ノ丸 2回生になって高校日本代表を辞退した原因にもなった古傷のアキレス腱を断裂してしまい、2、3回生のときは試合に出ることができませんでした。それまでレギュラーが当たり前だった自分にとって、大きな挫折でした。練習は別メニューで、リハビリ組としてグランドの端で練習を観たり、ウエイトルームでリハビリをしたりしていました。やる気はあるのに身体が言うことを聞かないというつらい日々が続きました。

しかも期待されて入部しただけに、周囲から心無い言葉を言われることもありました。でも、それはスポーツ選手の宿命。精神面はとても鍛えられました。良かったのは、同志社大学には京都と大阪に系列の中学校・高等学校があり、中高時代にラグビーで戦ったライバルたちが大学ではチームメイトになったことです。彼らには励まされ、今でも一生の仲間として交流が続いています。


ケガもあって仕事に専念するも
誘いを受けラグビーのコーチと両立へ

――大学卒業後もラグビーを続けられましたね。

二ノ丸 トップクラスの大学ラグビー部出身者は卒業後の進路として、まずラグビーを続けるのか、辞めるのかという選択を迫られます。

私の場合は、大学時代に完全燃焼できなかったこともあり、社会人になってもラグビーを続けたいと思っていました。プロ契約の話をいただいたチームもありましたが、社会人として仕事とラグビーを両立したいというのが私の考えでした。

社会人になった翌年、ジャパンラグビートップリーグが始まりました。社会人1年目は関西社会人Aリーグ所属の企業のラグビー部に所属しましたが、トップリーグに所属する数チームからオファーをいただき、その中でクボタ(スピアーズ)を選び、転職・移籍を決断しました。

社会人になっても、アキレス腱のケガはつきまといました。朝起きたらまずはアキレス腱の状態を確認する。今の流行で言う「ルーティン」でしたね。四六時中アキレス腱のことを考える日々でした。

―― 引退後、一度ラグビーから遠ざかりましたが、その後、どのような経緯で、コーチを始めるようになったのですか。

二ノ丸 ラグビーにけじめをつけ仕事に専念するために、2006年にクボタスピアーズを引退。仕事に専念しました。その後、もう一度ラグビーの現場に出たいという気持ちがよみがえってきました。ちょうどそのころ、日本ラグビーフットボール協会の中竹竜二コーチングディレクターから、「コーチをしてみないか?」と声を掛けていただいたのです。

そこで2012年から日本ラグビーフットボール協会リソースコーチ(協会から任命を受けたコーチ)となり、日本代表の各カテゴリー(特にユース世代)のサポートに携わることになりました。2015年には、U17日本代表のコーチも務めさせていただきました。現在はほかにも個人的に御所実業(奈良)や石見智翠館(島根)、三島(愛媛)、摂津(大阪)など高校チームの外部コーチとして携わらせていただいたり、指導者コーチングセミナーやお父さん、お母さんに対する講演など、週末は全国各地で活動させてもらっています。

選手の指導だけでなく、保護者向けの講演活動なども積極的に行っている(写真提供:二ノ丸友幸氏/前田寛文氏)

――クボタでは、どのようなお仕事をされているのでしょうか。

二ノ丸 私はクボタ入社後、法務部の配属になりました。商学部出身だったので、法務部門は畑違いでしたが、そこは勉強すればいいと思っていました。

幸い上司に恵まれて、ラグビーのことも理解してもらえたため、意欲的にラグビーと仕事を両立することができました。社会人の礎をつくってくれたのは最初の上司だと今も感謝しています。

法務部に6年ほどいる間、ビジネス法務の社内講師のような仕事もしました。日常の仕事現場にインプットしたものをすぐにアウトプットする機会が必然的にあったので、知識を自分のものにできていると感じながら仕事ができたと思っています。その後、事業部に近い法務関連のチームに約2年所属、2014年9月にコーポレート・コミュニケーション部(広告宣伝部門)に移り、企業ブランディングを担当することになりました。

具体的にはテレビCM制作をはじめ、ラジオ、新聞、雑誌、インターネットなどのマスメディアを活用し、クボタのブランド・認知度の向上を目指した仕事に従事しています。つい最近もCM撮影・番組制作のため、ヨーロッパや中東などに出張していました。


選手との距離感を
近くする指導方法を目指す

――二ノ丸さん流のコーチとしての特徴的な指導方法、または、選手とコミュニケーションをとるうえで気を付けていることは何でしょうか。

二ノ丸 私のコーチングスタイルは、選手との距離感が非常に近い指導方法を意図的に目指しています。文化の違いがあるので、一概に良い、悪いは言えませんが、日本のスポーツ界ではコーチと選手はタテの関係になりがちなのに対し、海外はフラットです。しかも私は教員ではないので、学校の先生を真似る、演じる必要もありません。

そのため、選手と密なコミュニケーションをとることをいつも心掛けています。生徒が普段、先生や親には話せない悩みなどを相談しやすい環境作りを意識しています。合宿に行っても、選手たちの輪の中に率先して入って、一緒にご飯を食べたりしています。そうすることで、選手たちも心を開いてくれて、SNSなどを通じて相談してくれることも頻繁にあります。目線を子供に合わすという感じですね。

ただし、距離感が近い身近な存在でありつつも、「オン」と「オフ」の切り替えは厳しく表現しています。練習をするときは選手とコーチの関係、練習が終われば、年齢が離れていても友達・仲間というような感覚をつねに意識させ、浸透させています。

選手の指導にあたっては「距離感」を意識する(写真提供:二ノ丸友幸氏)

―― ラグビーをしたことで、仕事で役に立っていることは何でしょうか。

二ノ丸 いつも決断を求められる世界にいましたので、まず自分で考え、行動してみる。そして振り返って、決断するというプロセスをつねに意識するようになったことです。

さらに言えば、大学時代の試合に出られなかった2年間は、私が若かったせいもあって、うまくいかないことを怪我のせいにしたり、いつかいい風が吹いてくるだろうと、悪い現状を前向きに打破することをせず、待ちの姿勢でいたように思います。

もっと早くアクションを起こしていれば、1日でも早く思いどおりの方向に行けたのかもしれない。社会人である今はその経験を活かして、仕事でうまくいかないときは必ず「原因を考え、良い方向に向かうにはどうすればいいのか」という働き掛けを意識するようにしています。


大事なのは「決断」ができる人
強いチームは「決断」が速い

――自分のブランドを確立していくための秘訣があれば、教えてください。

二ノ丸 まずは、他人の真似ではなく、身の丈に応じた自分のスタイルを確立することが重要かと思います。ただし、自分のスタイルが世の中とシンクロしているか、きちんと自己評価することも重要になります。

また、自分を俯瞰して見ることが必要だと考えています。自己分析も大事なのですが、自分に対する評価は甘くなりがちです。大事なのは他人から評価してもらうことです。それをコーチングでは「レビュー」と言うのですが、他人から「レビュー」してもらって、自分自身では気づかなかったこと、もしくは自分でもうすうす気がついている悪い点を指摘してもらって再認識するのです。

その意味でも、自分に苦言を呈してくれる人は大事だと思っています。心底苦言を呈してくれる人に積極的に意見を求めていく。私自身も仕事やコーチングで、それを実践しています。これまで振り返っても、私に本音で言ってくれる人が周囲に少なからずいたことが幸いしています。今でも大阪、奈良をはじめ、全国各地に苦言を呈してくださる指導者が私にはいます。そうしたことが自分をブランディングするうえで、必要だと思っています。

――今後求められるのはどのような“人物”だと思いますか。

二ノ丸 「決断」できる人です。判断できる人はたくさんいると思いますが、その先の「決断」ができる人は意外と少ない。判断は過去の経験則からできますが、「決断」は未来のためにすることです。自分自身も、「決断」ができる人間になりたいと思っています。コーチングでも、「決断」できる人間を育てていきたいですね。

ラグビーというスポーツは、すべての局面で瞬時の「決断」が問われるものです。いつも自分で対策を講じ、「決断」し行動しなければなりません。ラグビーには多くのオプションがあるので、すぐに「決断」しなければなりません。ラグビーでも強いチームは、とにかく「決断」が速い。

私は「決断」を速めるために、いつも物事の「段取り」を大切にしています。変わりゆく状況をつねに予測しながら、それに対する「段取り」を考えています。私の人生で、「段取り」はキーワードのようなものです。「良い仕事」「良いコーチング」は「良い段取り」ができているからだと思っています。

――将来の目標を教えてください。

二ノ丸 仕事においては、個別の業務を高いレベルでこなすスペシャリストとしてだけでなく、全体最適をもたらせるようなゼネラリストの両方を持ち合わせた人間を目指しています。一芸に長けているだけでなく、リーダーにもなれるような人になりたいと思っています。

一方で、ラグビーのコーチについても、自分のコーチングスタイルをさらに明確にして、日々成長していきたいと思っています。クボタできちんと仕事をしたうえで、ラグビーコーチとしても存在感を出していきたい。そんなワークライフバランスを考えています。

最終的にはかかわりを持った選手から、「二ノ丸さんのようになりたい」と思われる人になりたいですね。自分が目指している人がいるように、選手や若手コーチからも目指してもらえるような人間になっていきたいと思います。

二ノ丸友幸(にのまる ともゆき)株式会社クボタ コーポレート・コミュニケーション部 ブランド推進室 担当課長1979年大阪府生まれ。2002年同志社大学商学部卒業。現在、クボタにて企業ブランディングに従事している。2012年から日本ラグビーフットボール協会リソースコーチに就任。2015年にはU17日本代表コーチも務める。

 (撮影/今祥雄)