記憶は環境によって育てられる面はある。台湾における日本時代への懐かしみは、国民党の苛烈な統治や弾圧が強化したものであろう。
日本での湾生たちの台湾思慕も、敗戦によって焦土となった日本は当時の台湾に比べてはるかに暮らしにくかったことや、日本で引揚者が受けた差別的視線なども関係しているはずだ。戦前の台湾の経済水準は、日本の地方都市を大きくしのぎ、給料面でも東京に遜色ない金額を得ることができた。日本に戻った「湾生」たちが台湾での生活をより一層懐かしんだことは疑いようがない。
だが、やはり重要な問題は、人間にとってのアイデンティティは、必ずしも教育やイデオロギーだけで決まるものではなく、個々人が抱いている実体験によってしか本当の意味で形成されないということだと思う。
他人に語れない「台湾の私」を抱えて生活してきた
映画のなかの印象深いセリフに「(湾生たちが育った台湾東部の)花蓮のあの自然、景色をそのまま日本に持って帰りたい」という言葉がある。彼らには、そんな気持ちにさせられる景色は花蓮以外に存在しないだろう。そこに経済的豊かさがあろうがなかろうが、国籍が日本であろうが中華民国であろうが、それはひとりの人間にとって絶対的な体験なのである。
映画で湾生たちは、口々に「私の故郷は台湾」と語っていた。そして、戦後の日本でずっと他人に語れない「台湾の私」を抱え込んで生活してきた。その感覚を映画の主人公のひとりである老婦人は「自分がいつも異邦人のような気持ちだった」と明かしている。
「湾生回家」は、そうした湾生たちの思いを、いまを生きる台湾の人々に「懐日」というトレンドのなかで、より深く理解させ、共感を得られたからこそ、ここまでの大ヒットになったに違いない。
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