羽生結弦の魅力は「獣」に変わる瞬間にある フィギュアスケートが与える深い印象と驚き

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そう思ってから3年あまりが経った。その間に羽生は日本一になり、そして世界一になるまで一気に駆け上がった。本人いわく「自分の気持ちをフルに出していくようなプログラム」で全身全霊を捧げて滑りきり、頂点に君臨するまでになった。ただ、個人的にはあのニースの演技を超える瞬間には出会っていない。もちろん、成績という点数からみれば「それ以上」の演技はあまたあったのだが。

羽生が目指す競技と学問の高度な両立

羽生はとてもスマートだ。早稲田大学の通信制に通い、「予想以上に大変」な生活をトロントで続けている。競技との両立は大変だが、決して弱音は吐かず、睡眠時間わずか2時間で何日も生活し、きちんと課題をこなした時期もあった。心理学や統計学、数学に関心を置き、人間科学からフィギュアスケートの技術や表現力の向上を視座している。

自らの肉体の動きをどう競技に沿わせ、最大出力を発揮できるかということにアプローチしているのだと思う。だが、そのような「頭」からの手法にのめり込むのも、自分の制御の利かない動きを見せた肉体についての体験が基になっているのではないか。そう推測している。

ジャンプの回転数や、さまざまな曲調にシンクロさせる才覚は、フィギュアの魅力である。一方で、体の中でも特別に扱いづらい脚という部位に厚さ数ミリのブレードをつけた靴を履き、脚以外の体全身を預ける行為もまた、魅力の1つだと思う。制御しようとする心身に、突然どうしようもなく信じられないような動きをする瞬間が訪れる。それは何かしらを表現し、それが得点化されるという客観性に支えられるスポーツだからこそ、深い印象と興奮と驚きを見ている者に与える。そして、それができる選手が羽生結弦なのだ。

今季はフリーに「和」をテーマにした安倍晴明を演じるプログラムを持ってきた。僕が見たいのは、確固とした物語がある演技を見せながらも、そこから逸脱してしまう、「動き」が「動き」だけで成立してしまうような時間。勧善懲悪というストーリーを忘れさせるような驚嘆の時間だ。いつニースの再来が訪れるのか。予想できないからこそ、羽生を見続ける楽しみはある。

阿部 健吾 日刊スポーツ新聞社記者

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あべ けんご

あべ・けんご 日刊スポーツ新聞社記者。1981年生まれ。2008年日刊スポーツ新聞社入社。スポーツ部配属となり、ゴルフ、サッカーなどを経てアマチュア競技担当に。フィギュアスケートは2011-2012年シーズンから取材している。

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