一人っ子政策の「黒歴史」を忘れてはいけない 「権利意識」がガラリと変わった一人っ子世代

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ネックとなるのは「産む」側だ。中国政府の担当者は前傾のように2050年の労働人口が3000万人増えると見込むが、今から10年後の2025年には最も出産能力の高い22歳から29歳の女性の数が現在の42.35%になるという。つまり、現在の半分以下の人数になるというのである。

もし、前掲のキャロライナ大学の研究者の言うとおり、ここ数年は最大300万人程度の増大にとどまれば、母体が半分以下となる10年後にそれを大きく上回ることはありえないだろう。となると、それまでに3人目の出産も認可されるのだろうか?

中国メディアの報道は基本的に冷静だった。政府の楽観的な見積もりに対する悲観的な予測もきちんと報道していた。だが、それでも決して触れられていない領域があった。それは人びとの「ホンネ」だ。

その証拠にこの記事を書くためにSNSで検索してみたのだが、この「2人目全面解禁」に対する不満は一切現れなかった。

一人っ子世代が考える「産む権利」

だが、実際にニュース報道直後にわたしが目にした中には、「1人産もうが2人産もうが自由だろう? 子宮まで国に管理されるのか?」とか、「2人目の全面解禁は人口ボーナス再現を目論んだもの。ということは、2人目を産むことが強制されるようになり、生まないと罰を受けることになったりとか?」といった内容の書き込みが続いていたのだ。

つまり、それらの不平不満は数日後にはすっかり削除されてしまっていた。

そんな産む「権利」からの視点は報道における「タブー」となっているのは明らかだった。先の『財新網』は、中国統計年鑑によると、2011年における中国の出産意志は大きく下がっており、特に都市部の中産階級に顕著だと伝えている。

前述の『ニューヨーク・タイムズ』のケースに見る通り、都市部の中産階級は「選択する権利」を行使できる人たちでもある。そんな人たちにとって「出産」は明らかに個人が決めることのできるはずの「権利」であり、国に左右されるべきことではないはずだ、という思いが強い。

「解禁」第一報に対してSNSで意見を述べていた友人たちもほぼ全員が中流階級だった。彼らは住む場所を選び、仕事を選び、家を選び、今日着る物を選び、時には何時に出勤するかを選ぶことのできる人たちだ。その彼らにとって、自分の、あるいは自分の妻の子宮のことまで左右されたくないのは当然だろう。

一人っ子政策が始まった1970年代はまだ、中国人は「個人の権利」に目覚めていなかった。いや、中国語には「権利」という言葉すらなかったのだ。「権利」が主張されるようになったのは、ここ10数年のこと、明らかに「一人っ子世代」が社会で発言権を持ちだしたのと重なる。

考えてみれば、皮肉である。国が個人の「産む権利」を管理した結果生まれた世代が、今中国で最も「権利」に敏感な世代になっている。そして国が「狙う」子宮も、そんな「一人っ子世代」の子宮なのである。

だが、政府はまだ彼らが権利を主張するのを許していない――SNSにおける不満の削除はそのためだ。一人っ子世代はもう、発言の削除には慣れっこになっている。だが、彼らが口にしなくなった不満や不信は書き込みを消したからといって消えるわけではない。

国に与えられた「権利」を、彼らがどう行使するのか。今後数年間の出生率を眺めれば、消されてしまった彼らの言葉に出来ない思いは結果となって現れてくるはずである。

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ふるまい よしこ フリーライター

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ふるまい よしこ / Yoshiko Furumai

北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部卒。香港中文大学で広東語を学び、雑誌編集を経てライターに。香港居住14年の後、北京での13年半を経て、中国や香港について、大手メディアが注目する政局視点よりも、主に社会や庶民の視点からのレポートを行う。著書に『中国メディア戦争』(NHK出版)など。noteはこちら

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