伝説の床山は、なぜ名力士たちに慕われたか 朝青龍の"日本の父"、床山の在り方を変えた

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日向端 隆寿(ひなはた たかじゅ)/1943年青森県生まれ。1959年、日本相撲協会に床山として採用され、高砂部屋所属。床山の最高位である特等床山まで昇進し、2008年定年。同年1月初場所で史上初めて番付に名前が載る。相撲甚句の名手としても知られ、レコード・CDもある。著書に『大銀杏を結いながら 特等床山・床寿の流儀』(PHP研究所)。(撮影:梅谷秀司)

「こいつは強くなる」。ハワイで初めて会った瞬間に床寿さんが思ったとおり、小錦は1982年7月に初土俵を踏むと、1983年の11月の九州場所では早くも十両に昇進した。

だが、この活躍の裏にあまり知られていない「問題」もあった。小錦は強い縮れ毛で、床寿さんの腕をもってしてもなかなかきれいな大銀杏が結えなかったのだ。このとき、結婚前に美容室に勤めていた床寿さんの妻、育子さんが提案したのが、ストレートパーマだった。

結果は上々。以来、小錦は本場所の直前になると必ずストレートパーマをかけるようになったのだった。後に横綱になり、今は格闘家として活躍している曙も、力士時代にはストレートパーマをかけていたという。

力士が震えあがる「怖さ」

床山は満65歳で定年と定められている。1943年11月生まれの床寿さんは、2008年の11月場所を最後に定年退職した。現役最後の数年間、床寿さんは高砂部屋のマネジメント的な仕事も担っていたのだが、当時のことを知る人は異口同音に「床寿さんはものすごく怖かった」と話す。

それは床寿さん自身も認めている。「力士たちとはよく一緒に酒を飲みに行ったよ。でも、礼儀作法や言葉遣いについてはうるさかったね。俺が怒ったら、あの水戸泉(現錦戸親方)でさえ震えあがっていたよ」。

50年間、床山として勤め、千代の富士や小錦、朝青龍など多くの名力士たちの大銀杏を結ってきた。相撲界で果たした功績は大きい。なかでも特筆すべきなのが、床山の地位向上に尽力したことだ。

大相撲の世界には、力士、行司、呼び出しのほかに若者頭、世話人と呼ばれる人たちもいる。若者頭は幕下以下の力士の監督や稽古の指導をするのが役割だ。世話人は若者頭を補佐し、用具の管理や運搬などを担う。いずれも年寄名跡(としよりめいせき)を襲名できなかった引退力士が就くのが通例だ。

大相撲の番付には力士、行事、呼び出し、さらに若者頭、世話人も掲載されている。しかし2008年以前の番付には唯一、床山の名だけが掲載されていなかった。

これでは仕事の励みにならないという若い床山の声を聞き、特等床山だった床寿さんたちが、故・北の湖理事長に床山の名も番付に掲載するよう嘆願。これが功を奏した。2008年の初場所の番付から特等床山の名も掲載されるようになり、その後1等床山の名も掲載されるようになったのだった。

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