米国発金融技術で拓銀の承継作業が進展 札幌北洋ホールディングス相談役・高向巖氏③

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たかむき・いわお 1938年生まれ、札幌北洋ホールディングス相談役。62年東京外大中国語科卒、日本銀行入行。香港事務所首席駐在員、広報課長、札幌支店長、情報サービス局長など歴任し、93年北洋銀行副頭取。2000年頭取就任。現在、札幌商工会議所会頭も務める。

1997年11月、道内で最大の銀行、北海道拓殖銀行(拓銀)が破綻。大蔵省と日本銀行から北洋銀行に対して、受け皿行になるよう要請が来ました。

拓銀からの営業譲渡は吸収合併ではなく資産負債買い取り方式でした。北洋は地元で3番目の銀行。拓銀の資産規模は北洋の5倍もある。「逆にのみ込まれてしまう」との危惧がありました。

このため、承継時には拓銀を北洋が背負うことのできる大きさにしようと考えました。本州の資産負債や支店は原則、引き継がなかった。行員は当初3500人の受け入れを要請されましたが、結局約2000人が北洋へ移りました。

拓銀側からは「軒先を借りて母屋を取る」という声が漏れ聞こえる一方で、北洋側からは「(織田信長が今川義元の大軍を破った)桶狭間の戦いに勝った」という意見もあった。統合がうまくいくか心配していたのですが杞憂でした。北洋の武井正直頭取が人事面で両行員をフェアに処遇しました。今年4月、北洋に拓銀出身の頭取が誕生しましたが、これが大きな話題にならなかったのも、融合がスムーズだったからでしょう。

今の時代はトップ自らの勉強が大事

引き継ぎで難航したのが貸出債権の買い取りです。拓銀の要注意先債権の取り扱いをめぐって、なかなか調整がつきませんでした。特に、地元ゼネコンの地崎工業と百貨店の丸井今井の2社に対する拓銀融資に関しては、焦げ付きの不安があったにもかかわらず、「これを取ってもらわなければ北海道経済が窮地に陥る」と迫られました。地崎は先代社長が運輸相を務めた経緯もあり、月の決済日が近づくと政治家のところへ駆け込んだ。大蔵省、北海道庁、北海道銀行などとともに、何度も政治家に呼び出されました。

しかし、両社向けの債権を単純に引き取れば、こちらが潰れてしまう。そこで、米国のビジネススクールの教科書を熟読し、持ち出したのがディスカウント・キャッシュフロー(DCF)という概念でした。

「100円のリンゴも半分腐っていれば50円にすぎない。でも実際に売れるのは割引現在価値で30円くらい」。これがDCFの基本的な考え方です。会計原則で債権の値下げはできないため、割引分は引当金をもらうことで決着しました。

DCF以外にもビジネススクールの銀行経営の教科書から多くのことを学びました。米国の金融技術はとても参考になる。今の時代はトップ自らの勉強が大事。そして物事をじっくりと考える時間が必要です。

週刊東洋経済編集部
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