立正大学

民主・平和を貫いた信念の言論人
社会を変革する先取り精神を生かせ

第55代内閣総理大臣として戦後政治に異彩を放つ石橋湛山は、戦前から民主・自由・平和主義の立場を一貫して守る気骨のジャーナリストとして活躍した。その湛山が1952年から16年間にわたり学長を務めた立正大学は、〈「モラリスト×エキスパート」を育む。〉を教育目標に掲げ、混迷を深める現代社会において湛山の思想を継承しようとしている。リレー対談・第1回「ジャーナリスト・石橋湛山」では、同じジャーナリストの田原総一朗氏を招き、湛山の孫にあたる石橋省三・立正大学学園監事・石橋湛山記念財団代表理事の司会で、立正大学・山﨑和海学長と対談していただいた。
左から立正大学学長・山﨑和海氏、田原総一朗氏、石橋省三氏

真の民主主義、平和主義者として唯一の存在

――石橋湛山は、戦後、大蔵大臣、通産大臣、そして首相を歴任しましたが、その原点は戦前の東洋経済新報社でのジャーナリストとしての活動にあります。

田原●石橋湛山が首相になった時、私はまだ大学生でした。直接会ったことはありませんが、真の民主主義者という印象を持っています。大正デモクラシーの時代、リベラリストたちでさえ、デモクラシーを「民本」主義と呼んでいました。主権は国民になかったため、民主とは言えなかったのです。しかし、湛山一人が「民主主義」を唱えました。それは、時代の空気を考えれば、大変に勇気のあることだったと思います。

山﨑●石橋湛山は、満州事変(1931年)、その後の国際連盟脱退といった動きに批判的メッセージを発信し続けています。

田原●満州事変や日中戦争(1937年~45年)には、パリ不戦条約を巡る問題がありました。欧州全土を戦場に総力戦となった第一次世界大戦を経験し、戦争をするのは誤りだという教訓を得た欧州の国々を中心に、国際社会は戦争放棄を規定した不戦条約を締結しました。日本もその締約国でしたが、主戦場から遠く離れた日本では、この条約の真意は理解されなかった。植民地経営に出遅れていた側にすれば、すでに植民地を持つ欧米から、今後はダメと言われても納得できない。だから、不戦条約に反した植民地獲得戦争をマスコミも民本主義者たちも支持したのです。しかし、湛山だけは、武力で植民地を築いて海外に資源を求めることに反対した。こんな人物は、他にいません。

山﨑●湛山は「一切を棄つるの覚悟」や「大日本主義の幻想」といった評論で、植民地を棄てることによって、世界の弱小国は一斉にわが国に信頼の頭を下げるだろうとして、全世界から道徳的支持を得ることの利益を訴え、国家的な欲望を抑えた小日本主義を打ち出しています。

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