『仁義なき日本沈没』を書いた春日太一氏に聞く 身につまされる映画史を描きたい

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 卒論のテーマは深作欣二、笠原和夫。『仁義なき戦い』(1973~1976)をテーマにしましたが、次やりたいと思ったのが「時代劇」の研究。テレビの時代劇というのは、あまり研究されていなかったし、フジテレビの能村庸一プロデューサーが『実録テレビ時代劇史』(1999、東京新聞出版局)という本を出され、これに出会ったことが大きいですね。

テレビ時代劇はこんなにゼロから、いろんな人が積み重ねてきたんだと。でも研究者っていないよな。じゃあ、修士2年でやれるだけやってみようと思った。そこで、1年目やってみて、テレビの時代劇については文献すらないことに気づいた。

たまたまゼミの先生が能村さんと知り合いだったので、能村さんに取材し、それでもまだ分からないことが多かったので、「現場に行かせてください」とお願いしました。それで、実際に撮影所へ行き、謎だったものが見えてきた。それは、時代劇は撮影所の単位で動いていること。監督単位でも、脚本家単位でも、プロデューサー単位でもない。それまで、どうしても個人にしか目がいかなかった。撮影所としてつくっているものが、作品の雰囲気というものを決定づけていると気づいたんですよ。

半年間、映像京都というところの時代劇撮影の現場に朝から晩まで密着してスタッフの方々から話をきいて。一方で、東映の方にも顔を出して、またスタッフの方々に次々とお会いしていきまして。彼らの考え方が作品にも投影されているんだとわかった。

ただ、それに気づくのが遅かったのもあり、修士論文は能村さん個人の研究にして、それは、昨年出た『時代劇の作り方』(辰巳出版)につながっています。

それで、これは腰を据えてかからないと駄目だと思い、本格的に時代劇研究をしようと決意したんです。博士課程に進んで、本格的に当時の人たちに話を聞いて回るようになった。ただ、今度京都へ行ったときにお話聞かせてくださいとお願いした方が亡くなるようなことが多く、「これは時間がない」と思った。とにかく媒体も何もないし、論文も書けるかどうかわからないけれど、重要と思われる人に片っ端から話を聞いていこうと思ったんですよ。

--メディアが決まってなくても会えたんですね。

一介の大学院生が自腹で京都にやってきたというのが珍しかったのかもしれないですね。こちらは、身一つで行っているので親しくしてもらえましたし、どんどん現場の人があけすけに話をしてくれるんです。

とにかく証言を集めるだけ集めようと。それを25歳から30歳まで、ひたすら5年間、京都と東京を往復していました。

--その頃はどんな仕事をされていました?

 当時は、フリーでテレビドラマの企画書を書く仕事。個人なので今日受けて明日出すというものですね。それから小説のあらすじ書き。1冊いくらでもらったり。どれも個人のつきあいでした仕事でした。企画書のリライトなどもしましたね。

当時としては、それなりの額はもらえていたけれど、テレビもだんだん不況になり、額が減ってきた。その一方で、ぼくの活動が少しずつ知られるようになってきた。能村さんも心配して辰巳出版の「時代劇マガジン」を紹介してくれ、レギュラーで書かせてもらうことになり、どんどんページ数も増えていった。それで20代の終わりに、こっちに集中しようと決めた。それで、少し時間はかかりましたが、『時代劇は死なず』が出たんですね。

 

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