震災から何を学んだか--食の安全と放射能

震災から何を学んだか--食の安全と放射能

史上最悪の事故を引き起こした東京電力・福島第一原子力発電所から約6キロメートル。東日本大震災時に10メートルを超す大津波が押し寄せた福島県浪江町の請戸(うけど)漁港では、3・11から1年たった今も、荒涼とした風景が広がっている。

第一原発から半径20キロメートルの範囲内は住民の立ち入りが厳しく制限される警戒区域に指定され、避難を強いられた住民は国が決めた数時間しか故郷の自宅に戻ることができない。

疲弊する生産者

第一原発が立地する双葉町に住んでいた加藤勇さん(50代、仮名)は、福島県内の港で30年以上にわたって船舶の運航に携わってきた。しかし、勇さんは原発事故から2カ月後に勤め先の会社を解雇され、妻の治子さん(50代、仮名)もまもなく漁協での仕事を失った。加藤さん夫妻のみならず、海で生計を立ててきた住民は誰もが甚大な被害を受けた。

かつて東電が原発の増設計画を決めた際、漁協には漁業権放棄の見返りに多額の補償金が入った。自宅を建て替える漁師も多く、周囲から羨望のまなざしが注がれたという。

だが、結局は「仕事や商売道具をすべて東電に奪われた」と勇さんは話す。勇さん自身も原発事故後は収入ゼロになった。住まいも自宅から遠く離れた県内の仮設住宅に変わった。

「もはや漁業ができないことはわかっている」と語る勇さんは、バス運転手の仕事に就くために大型二種運転免許を取得したが、再就職先は決まっていない。

浪江町から北へ45キロメートル。同じ浜通りにある相馬漁港(相馬市)で働く漁師たちも、まったく先行きが見えない状況だ。相馬漁港は、津波の被害で50センチメートル以上も地盤沈下しており、がれきの撤去作業が続いている。だがその作業も3月中に終わる。

郡山市内の仮設住宅で暮らす根本拓さん(57、仮名)は震災以前、相馬市で漁師をしていた。1回の水揚げで150万円以上稼いできた。しかし、現在の仕事はがれき撤去のみで日給は1万円程度。「漁師の半数以上は漁業をあきらめている」と語る。

多くの漁師が船を流されてしまったのと異なり、根本さんの船の被害は少なかった。だが、「それでも船の修理には600万円以上かかる。福島の海で漁を再開したところで、以前と同様には稼げないだろう。どうしたらいいかさっぱりわからない」と、根本さんは肩を落とす。

存亡の危機に直面する福島県の酪農家

農業関係者も苦難に直面している。第一原発から約50キロメートルの距離にある福島県伊達市で酪農を営む片平雄作さん(28)は、牧場でジャージー牛32頭を育てながら兄の晋作さん(34)とともにアイスクリーム店を経営してきた。

1年前まで店はにぎわっていた。濃厚な味わいのアイスが人気を呼び、県外からもリピーターが訪れるほど支持を集めていた。夏の最盛期には店の前に長蛇の列ができ、1日に4000個も売れるほどの人気ぶりだった。しかし事故で状況は一変、来店客が激減した。

昨年3月21日、国は食品衛生法の暫定規制値を超える放射性物質が福島県産の原乳から検出されたことを受け、出荷停止を指示。出荷制限が解除されるまでの約1カ月間、片平さん兄弟は搾った牛乳を廃棄し、店も休業した。「家族同様の牛と、離れ離れになるのではと、つねに不安と緊張で張り詰めていた」と、弟の雄作さんは当時を振り返る。

牧場は店から数キロメートル離れた相馬市内にあり、第一原発からの距離は約50キロメートル。4月には土壌から放射性物質が検出されたため、牛を牛舎から外に出さないようにした。牧草は計画的避難区域に指定された飯舘村の農家から、震災前に刈り入れた汚染されていないものを買い取った。

しかし、店舗経営への影響は大きかった。4月下旬、店の再開にこぎ着けたものの、売り上げは例年の半分に減少。「福島では店も牧場も続けることは厳しい」と考えた。

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