「日本を代表する起業家になろう」私はモナコでそう思った | 愚直に続けたから 成功した、 ワケじゃない

「日本を代表する起業家になろう」<br />私はモナコでそう思った

「日本を代表する起業家になろう」
私はモナコでそう思った

田中 仁
ジェイアイエヌ代表取締役社長

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 毎年、新たな事業領域に挑戦する起業家の努力と功績を称えるEYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー(EY Entrepreneur Of The Year)は、1986年に世界4大会計事務所の一つであるEY(Ernst&Young=アーンスト・アンド・ヤング)により米国で創設された。2001年からはモナコ公国モンテカルロで世界大会が開催されるようになり、ここに世界各国の厳しい審査を勝ち抜けた起業家たちが集う。
 2010年、日本代表に選ばれたのが、「JINS」ブランドを展開するジェイアイエヌ社長の田中仁氏だ。それから5年。今やメディアから最も注目を集める起業家の一人となった田中氏が、起業家として成功した要因とは何か。そして、EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーは田中氏にとって、どんな意味があったのか。起業家に付きものの愚直さ以外に必要なものとは――。


顧客不在のビジネススキームで
最終赤字を出したことも

――JINSは2014年に540万本とメガネ販売本数で業界ナンバーワンの地位を確立し、今もその快進撃は続いています。今回の取材のテーマは「愚直に続けること以外に何が必要なのか」です。ジェイアイエヌが成長していく過程で、事業拡大につながったきっかけは何だとお考えでしょうか。

田中 私たちが祖業である雑貨事業からメガネ事業にビジネスチャンスを見出したのが2001年(福岡・天神にJINS一号店出店)。それ以降、追い風に乗って成長し、5年で株式上場まで成し遂げることができました。しかし、その頃から、私はさらなる成長を続けていくうえで何かが足りないと感じていました。

そこで2009年に「自分たちの強みは何か」「どんな価値をお客様に提供するのか」という問いかけのもと、それまでの価格やサービスの常識を覆す「レンズの追加料金0円」のビジネスモデルを導入し、同時に「Airframe」で“軽量”という価値を提案しました。その後も新商品を出し続けた結果、4年間で売り上げは5倍になり、店舗数も従業員数も急拡大しました。

ところが、製品・サービスでは勝っても、その事業拡大の流れの中で、人材の情熱が薄まってしまいました。情熱が薄まると、次第にお客様満足度も落ちていきます。

では、何が足りないのか。それが「JINSブランドのビジョン」「組織のビジョン」でした。要は何のためにJINSブランドをやっているのか。いわば、会社としてのビジョンが足りなかったのです。製品・サービスだけのビジョンは時間の経過とともに薄れていきます。しかし、明確なブランドや組織のビジョンを浸透させれば、人材の情熱も薄まらず、50年、100年経ってもビジョンは廃れません。それが明確になったのが昨年の2014年でした。そこからさらに成長スピードが高まったと感じています。

※ジェイアイエヌのビジョン
Magnify Life
いつもと世界が違って見える。
JINSは、そんなきっかけを人々に提供したいと願う。
人々の生き方そのものを豊かに広げ、
これまでにない体験へと導きたい。
だからこそ、私たちはメガネのその先について考え抜き、
「あたらしい、あたりまえ」を創り、まだ見ぬ世界を拓いていく。
―to Magnify Life

――そうしたビジョンにたどり着くまでに、どんな失敗がありましたか。

田中 2006年の株式上場で、会社に8億数千万円のキャッシュが入ってきました。これだけのキャッシュがあれば、銀行借入をしなくても出店できるわけです。でも、その時採った戦略が、今振り返ってみると、守りの戦略だったのです。

当時、「オンリーワン」という体のいい言葉を使って、雑貨事業とメガネ事業を組み合わせた新業態で勝負に出ました。それは大手のメガネ専門店に対して、メガネ一本で勝負することを避けるための、いわば逃げの方策でした。しかも、それはお客様を見て考えたのではなく、あくまで自分たち本位で作った新業態だったのです。気づかないうちに守りの戦略を採っていました。

その結果、新規出店した新業態店の多くは一年も経たずに閉店することになり、会社も特損を出して最終赤字になるなど、戦略を仕切り直すことになりました。でも、その失敗は自分たちを見つめ直すきっかけになりました。


ビジョンを体得するには
真剣勝負を繰り返すしかない

――経営者となるといい時も悪い時も責任を負わなければいけませんが、モチベーションはどうやって維持しているのでしょうか。

田中 それも結局は、ビジョンに行き着いてしまうのです。社長のビジョンと会社のビジョンが合っていなければならないのです。最近、ビジョンという言葉が世の中で流行っているようですが、実のところを言えば、体験しないとわからない「ビジョンの深さ」というものがあるように思います。

言葉だけを見ると、ありふれた言葉のように思えますが、本当にビジョンを体得するのは難しい。でも、これを体得すれば、組織は見違えるように良くなります。

――ビジョンを体得するにはどうすればいいのでしょう。

田中 それは人生を賭けるような真剣勝負を経験することです。自分がやりたいビジョンを世の中に問うて、それが世の中に認められなかったら、社長を辞めるくらいの覚悟を持った勝負をしなければ、わからないと思います。

たとえば、戦国武将のように本当の刀で真剣勝負をすれば、どちらかが死ぬか、大ケガをする。そういう勝負です。よく先輩経営者に聞くと「経営にもコツがある」と言われるのですが、コツを体得するのも、まさにそうした勝負の経験から生まれるのです。

どんな事業でも、ビジョンやコツを体得できるチャンスはあります。でも、どうしても皆勝負から逃げてしまう。安全な道に行ってしまうのです。

商売にも王道があります。真正面から勝負しないと、体得する機会はやってきません。メガネなら、メガネ一本で勝負しなければならないのです。

むろん真剣勝負をするのは、怖い。リスクもある。まともに戦ったら勝てないかもしれない。でも、まともにやらなかったら、うまくいかない。では、どうやったら勝てるのか。そこから、本当の戦略が生まれてくるのです。

――おっしゃるような商売の王道を歩んでいると実感したのは、何歳の頃でしょうか。

田中 30代後半の頃です。それまでは「運」と「縁」でやってきたようなものです。私はラッキーなタイプで、能力が際立っていたわけではない。もしかしたら多少、稼ぐ才能はあったのかもしれませんが、ほぼ「運」と「縁」でやってきました。

でも、「運」と「縁」だけでは限界があります。商売で日本一、世界一になるには、実力をつけないといけない。30代は、その実力をつける時期だったのでしょうね。


大きな決断をする時に
好き嫌いが決め手になることもある

――今まで「愚直に続けたから成功した、わけじゃない」という話を聞きましたが、一方で愚直にやり続けている部分は何でしょうか。

田中 いつも商売のことを考えているということでしょうか。だから、趣味はほとんどありません。ゴルフも釣りもしませんね。サーフィンはやってみたいんですけれど(笑)。

若手起業家に対するアドバイスとしては、「24時間、商売のことを考えろ!」ということ。仕事のことを考えていれば、寝ている時でも、ハッと思いつくことがあります。実際、私も夜中の3時、4時に突然起きてメモを取ることがよくありましたね。

――大きな決断をする時は、どんな状態で何を拠り所としますか。

田中 昔は緊張感の中で決断していました。特に若い頃は、寝ても覚めても心配ばかりしていました。しかし、実際、商売で成功する人を見ていると、慎重な人、真面目な人が多いような気がします。

それと、大きな決断をする時は、自分で仮説を立てて、その仮説が世の中とズレていないか、自分の商売と全然関係ない人たちに聞くという作業をしています。メガネ業界の偏った見方を私がしていないかどうかを確認する、という意味もあります。心配な時は20~30人、ちょっとしたことでも、5~6人には聞きます。

――最終的な決断の際には、何が決め手となるのでしょうか。

田中 結局は、人間のやることですから、ドライな論理だけではなく、経営者の好き嫌いがどうしても影響してしまいます。好き嫌いが決め手になることもありますよ。でも、それが会社の個性なのではないでしょうか。同じメガネ事業でも、違う人が社長だったら、今のJINSとは違うものになっていたでしょう。その意味で、会社は社長の個性を表すものだと思っています。


将来のことはわからない
大事なのは変わり続けること

――田中社長は2010年にEYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーの日本大会で大賞を受賞、その後モナコで開催された世界大会「EYワールド・アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー2011(EY World Entrepreneur Of The Year 2011)」に日本代表として出席されました。参加されたきっかけとは?

田中 あるベンチャー団体の方から推薦を受けたのがきっかけでした。そこからトントン拍子で日本代表に選ばれたのですが、その過程でだんだん気持ちが盛り上がっていったことを覚えています。

もちろん大賞をいただいたことはうれしかったのですが、世界大会でモナコに行って、「当社は世界に通用する」と思ったことが、いちばん大きい収穫ですね。世界の起業家たちと会っていくうちに、「もしかしたら自分ももっといけるのではないか」と思ってしまったのです。

田中 仁(たなか ひとし)1963年 群馬県生まれ。1988年 ジェイアイエヌを設立、代表取締役社長に就任。2001年アイウエア事業「JINS」(ジンズ)を開始。2006年 大証ヘラクレス(現JASDAQ)に上場。2011年 『Ernst&Youngワールド・アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー2011』モナコ世界大会に日本代表として出場。2013年東京証券取引所第一部に上場。著書に『振り切る勇気 メガネを変えるJINSの挑戦』(日経BP社)がある。

――どうしてそう思えたのでしょうか。

田中 自分の中で自然と計算したのでしょうが、その根拠はどうしても言葉にできません。それを人は根拠のない自信と言うのかもしれませんね(笑)。モナコという場所はもちろん、大会の演出も良かったことを覚えています。タキシードを着て、クラシックカーで登場し、赤い絨毯を歩くのは、やはり刺激的でした。

実はEYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー日本大会の大賞を獲ったことによって、経産省主催の「日米イノベーション対話」の日本の起業家代表にも選ばれました。日米10人の有識者が集まり、スタンフォード大学でミーティングがあったのですが、そこに参加したことでさらに私の名前を知ってもらって、また別のところからお声が掛かるという副次的な効用もありました。

知ってもらえる、人脈が広がるという部分もありましたが、やはり自分自身に「日本を代表する起業家になろう」という意識が芽生えたことが何よりも大きいですね。

今でこそ「世界一のアイウエアブランドを目指す」と言っていますが、EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーの大賞を獲るまでは、世界一なんて言ったことはないですから。

――EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーの経験から世界を見据え、今後JINSはどのように進化していくのでしょうか。

田中 まだわかりません。もしかしたら将来、今のようなメガネの形態ではなくなっているかもしれませんから。ただ、新しいチャレンジだけはどんどんしていきたいと思います。事業で大事なことは、変わり続けることです。メガネはまだまだ多くの可能性を秘めています。これからもメガネという概念を変えていくような新しいビジネスをしていきたいと思っています。

(撮影:今祥雄) 


 

“世界一”を決める起業家表彰制度
EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーとは?
 EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーは、1986年にEY(Ernst&Young=アーンスト・アンド・ヤング)により米国で創設され、新たな事業領域に挑戦する起業家の努力と功績を称えてきた。過去にはアマゾンのジェフ・ベゾスやグーグルのサーゲイ・ブリン、ラリー・ペイジらもエントリーしている。2001年からはモナコ公国モンテカルロで世界大会が開催されるようになり、各国の審査を勝ち抜いた起業家たちが国の代表として集結。“世界一の起業家”を目指して争うこのイベントは、英BBCや米CNNなど、海外主要メディアで取り上げられるほど注目度が高い。